残照身辺雑記

日々の出来ごとや感じたことなどのあれこれを記録します。

読書雑記帳 (13)豊饒の海  春の雪・奔馬・暁の寺・天人五衰(新潮文庫 全四巻)/ 三島由紀夫

豊饒の海」を読んだ。年末年始にゆっくりと長大作をが動機。たまたま図書館で"宝塚歌劇団で舞台化された文学作品"という特設のコーナーをやっていて、「赤と黒」「戦争と平和」「嵐が丘」「アンナ・カレーニナ」などと一緒に「豊饒の海」全4巻が並べられていた。第一巻の「春の雪」が舞台化されたとあった。

言うまでもなく、「豊饒の海」は三島由紀夫の最後の長編小説であり、第四巻「天人五衰」の最終稿は、著者自死の日の朝、出版社の担当者に届けられたという。その日、三島は、陸自市ヶ谷駐屯地で割腹自殺を遂げた。作者の意図と遺言が込められた、まさしく、ドラマティックな遺作となった。その思いとは何か。読者はその問いに向き合わざるを得ない。

f:id:afterglow0315:20220118193231p:plain

全4巻文庫本4冊の長大な作品である。全編豪華絢爛な美を尽くした文章表現に圧倒される。物語の主題は、「唯識」と「輪廻転生」という仏教哲学であり、難解な理論の開陳がなされる。同時に、その主題に沿った、対照的に、単純で明快なストーリーが並行して展開される。作家の死生観が濃密に表現され、物語は、自死の衝撃と共に、いやがうえにも、緊張感を孕んで迫ってくる。

20年目の転生が運命づけられている4人の若者が主人公である。第一巻は松枝公爵家の嫡男清顕。第二巻は国粋団体飯沼塾の塾頭の息子の飯沼勲。第三巻はタイ王室の姫君ジン・ジャン。第四巻は孤児安永透。彼等のそれぞれの20年の生涯が語られ、全4巻80年の物語となる。蛇足ながら、各巻を自分なりに一語で要約すれば、第一巻は「愛」、第二巻は「義」、第三巻は「美」、第四巻は「悪」となろうか。

そしてもう一人の重要な登場人物が清顕の友人の本多繁邦である。彼は転生の秘密に気付き、4人の転生を生涯をかけて見届けることになる。彼は又、唯識と輪廻転生の思想の探求者でもある。栄耀と欲望の全てを手にした彼であるが、ひとり歳を重ねて80歳を超えて、今や老残の日を迎えている。かくして、難解なテーマが巧みに織り上げられた物語は、いよいよクライマックスを迎える。

死期を悟った本多は、奈良月修寺に、尼僧門跡となっている第一巻「春の雪」のヒロイン聡子を訪ねる。対照的な人生を歩んだ末の60年ぶりの再会である。対面した二人が交わす言葉が長い小説を締めくくる。その言葉とは、果たして・・。

劇的かつ感動的な幕切れである。長い物語は聡子にこの一言を発せさせるためにあったのだと得心した。それは人生そのものへの回答かもしれない。あるいは、著者がこだわった「唯識」ということかもしれない。

文学にしろ宗教にしろ関心の薄い私にも最後まで興味深く、面白く読み通すことができた。著者の意図するところを理解することは困難であるが、読み手なりに思い巡らせ、また、楽しむことができた。

読み終わって思うことは、自分も、主人公の本多と同じ80年の人生を歩いてきたということである。80年は長く朧である。しかし、20年を区切りとしてみれば、全4巻の人生になる。不思議なことに、一巻ごとが鮮やかに浮かび上がってくる。あたかも4回の転生を経たように。そして今や第5巻を歩んでいる。その道しるべは何だろう。あなたにとっての聡子はいますか?