読書雑記帳 (5)誰もが楽しく有益に読むことができる書物とは・・/読書案内・世界の十大小説・月と六ペンス・人間の絆/W.サマセット・モーム
サマセット・モームが「読書案内(BOOKS AND YOU 1940)」の中で、この本を書いた理由を、「過去の文学者たちの偉大な遺産を前に途方にくれている一般読者のため
に、誰もが、楽しく、かつ有益に読むことができるような、書物のリストを提供することにあった」と述べている。
どんな本を読もうかと、いつも悩やまされている我々読者にとって、そのようなリストは願ってもないことである。
そして、「リストにとりあげる第一の条件は、楽しく読めること」としたうえで、欧米の40名余の作家の著作を紹介している。
更に14年後、モームは、続編となる著書「世界の十大小説(TEN NOVELS AND THEIR AUTHORS 1954)」を発表している。
前作では40余名であった作家を10名に絞って、各人1作品とし10作品を選んでいる。大胆そのものであるが、自信と確信に溢れており、モームには迷いも言い訳もない。読者としては有難く、頼もしい限りである。
モームは、本書のいきさつや意図、取り上げた作者や作品の紹介、作品に対するコメントなどを述べている。加えて、モームが考える「小説論」「読書論」「読み方指南」などを、読者に寄り添って、愛情深く、分かり易く説いている。悩める読者は大いに勇気づけられ元気づけられる。
モームの主張の一端を紹介すると、「小説はあくまでも楽しんで読むのが本当である。
ある小説を読んで楽しく思えないならば、その作品は、その読者に関する限り、何の価値も持たない。
読者は誰も自分自身が最良の批評家である。何が楽しく読めるか、また読めないかが分かるのは、当の読者その人だけだからである。
その一方、小説の作者のほうには、3,4百ページの書物を読むに要するわずかばかりの勤勉な努力を惜しまぬことを、読者に要求する権利がある。・・・」といったものである。
さて、モームが選んだ10大小説は以下の通りである。
1.フィールディング『トム・ジョーンズ』
2.ジェイン・オースティン『高慢と偏見』
4.バルザック『ゴリオ爺さん』
5.ディケンズ『デイヴィッド・コパフィールド』
6.フローベール『ボヴァリー夫人』
7.メルヴィル『白鯨』
8.エミリー・ブロンテ『嵐が丘』
9.ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』
10.トルストイ『戦争と平和』
『トム・ジョーンズ』が18世紀の作である以外は、すべて19世紀の作品である。いずれも100年も前の古典ともいえる作品である。果たして現代の我々読者にとってはどうなのだろうか。モームに言わせれば、20世紀の作品は歴史の評価を十分には受けていないので、名作としての選択は今のところ時期尚早であるとのこと。
ということで、モーム氏の言い分に賛同して、自分としては、リストは大いに参考にしたいと思う。書物選びの迷いから解放されるし、これらの作品が楽しいか否かは興味あるところでもある。リストの中では、『赤と黒』と『ゴリオ爺さん』は以前読んでいて、それなりに楽しめた記憶があるし、『白鯨』は早々にギブアップした記憶がある。半世紀たっての再読になる。楽しみである。
サマセット・モームが「月と六ペンス」の著者であることは、何故か、昔からよく知っている。戦後の高校の英語の教材によく採用されたとのことで、多分そのせいであろう。知っていたのは名前と書名だけのことである。
ところが、今回、小説のリストのことや、辛口の小説論に接して、モーム自身の小説がどのようなものなのか気になった。
彼が主張するような、楽しめる小説なのだろうか?有名な2つの作品を読むことにした。
人間の絆(OF HUMAN BONDAGE 1915)/モーム・行方昭夫訳(岩波文庫);
虚実を織り交ぜたモームの自伝的作品。主人公フィリップの幼少期から青年期、医師として自立するに至るまでの半生を描いた長編小説。曲折と波乱に満ちた若き日の遍歴がダイナミックに描かれる。長大に綴られるが飽きることなく完読した。
月と六ペンス(THE MOON AND SIXPENCE 1919)/モーム・行方昭夫訳(岩波文庫);
画家ゴーギャンをモデルに、半ば空想の芸術家像をモームが作り上げる。
絵画への激情に突き動かされて行動する特異で強烈なキャラクターの画家が、すべてを断ち切ってパリを出奔し、南太平洋で没するまでの生涯が語られる。
読書雑記帳 (4)蛍川・青が散る/宮本輝
人気の作家宮本輝。小説の類は苦手の小生ですが、流石にいくつかは読んでいる。「蛍川」と「青が散る」は特に印象深い作品です。「蛍川」は私のふるさと富山が舞台。「青が散る」は自分も経験した学生時代の運動部が舞台。ということでとても身近に感じる2作品です。
蛍川(宮本輝全集 第1巻/新潮社刊):
脱稿までに10数回も一から書き直したという作家の強い思いが込められた作品。芥川賞受賞作。
美しくそして厳しい富山の風土を背景に、3学年への進級を控えた中学生竜夫と彼を取り巻く人々が描かれる。
祖父、父、叔父、母、親友そして幼なじみの同級生英子。登場する人物達のプロフィルがエピソードとともに濃厚に凝縮されて展開される。
そして物語は、蛍の大発生のクライマックスに向かう。4月に大雪のあった年に蛍が大発生すると祖父から聞かされていた竜夫は、それを心待ちにしていたのだ。
今年こそはその年と確信した竜夫は、祖父を道案内に、母と英子を誘って、夕暮れの中を出発する。歩き続けるが蛍は中々現れない。期待と緊張が途切れかかる。諦めかけたそのとき、突然、点滅しながら川面にうねる蛍の光る塊に遭遇する・・・・・。
作家はその光景を鮮やかに描く;・・それは期待通りの壮麗さであったが、各々が思い描いたものではなかった。華やかな光の饗宴とは異なる死の静寂を放つ光の塊であり、それは英子の全身に張り付いて、その身体を光にして浮かび上がらせる。蛍たちの狂おしいまでの生と死の乱舞を描いて物語を閉じる。
作者は昭和31年4月から翌年の3月までの1年間を両親とともに富山市で過ごしている。10歳のころになる。そして蛍の乱舞は、また、竜夫が母と共に富山を去り大阪へ移り住むことを決定づける。作者自身の経験を重ねているのだろうか。
芥川賞受賞後の第一作。新設の大学に入学してテニス部で出会った若者たちが繰り広げる青春ドラマ。
「青が散る」に象徴される青葉の時代の出会いと挫折が描かれる。
運命に導かれて一つの学び舎に集い、同じサークルで出会う。
「散る」もあれば「結ぶ」もあるだろう。
挫折に終わる青葉の時代であれ精一杯に生きようと呼び掛けている。
誰かが、この本を同時代に読んでいたらよかったのに、と読後感で書いていた。誰しも抱く思いであろう。
作者はあとがきで「私はただ単純に、自分の心に刻まれた陽光の中の青春というものを、何かの物語に託して残しておきたいと思いました。」と述べている。
物語は、誰もが過ごした青春を、切なく愛おしく思い起こさせる。挫折であれ、希望であれ、悔恨であれ、今はそれをありのままに受け入れるしかない。
雨水初候(2/19~2/23) 三寒四温・シクラメン・ウグイスの初鳴き
2021.2.21. 春本番を思わせる陽気になった。遠くの山々が霞んでいる。三寒四温というが、極端な温かさと急な寒波の繰り返しに驚かされる。鉢植えのシクラメンが次々と花梗を伸ばして朝日に輝いている。
ウグイスの初鳴きの時期である。その年に最初に鳴き声を聞いた日が初鳴日。我が家では、昨年は2/22、一昨年は2/21であった。天気も良い今日あたりは、そろそろあるかと気にしていると、案の定、チッチと小さい声に続いて、ケキョと半鳴きが聞こえた。ウグイス?気のせい?空耳か?鳴き声はそれっきりになった。
初鳴きの時は、いつも前日に、チッチという地鳴きとケキョという思わせぶりな半鳴きの前触れがあって、その次の日ぐらいに初鳴きになる。"春は名のみの 風の寒さや 谷のウグイス 歌は思えど 時にあらずと 声もたてず♬(早春賦)" ウグイスはしっかり時をはかっている。もうすぐ初鳴き日になるだろう。
2021.2.23. 今朝は一転して曇り空の肌寒い朝となった。ところがこんな天気の今日が今年のウグイスの初鳴き日になった。落ち着きのない季節模様であるがウグイスは惑わされない。しかし初鳴きは一回だけ。あとは静かになってしまった。温かい陽気が定まって欲しいものだ。