残照身辺雑記

日々の出来ごとや感じたことなどのあれこれを記録します。

節気は清明から穀雨へ  昔の話しをすることになった(3)

「桜だより」は本日で終了しますと朝刊が知らせている。春の盛りを教えてきた桜色の見出しの小さい記事が、今日は春の終わりを告げている。節気は清明から穀雨へ。初夏の入り口を迎えている。

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窓を開け放したままでも大丈夫な気持ちの良い朝だ。入れ替わって花壇の花たちが元気に咲いている。

むかしの話しをするには、今のことも知っておきたい。それで、最近の様子を教えてもらった。断片的には聞いてはいたが、素晴らしい内容だった。終わりよければ全て良しとはいうが、それでも、昔の苦労を思うと、手放しでは喜べない気もする。しかしこれ以上を望むこともない。自分たちが産み落とした事業が、健やかに育ってほしいという、皆の希望と祈りが果たされたのだ。

そして、今は、その命が永遠であって欲しいと切に思う。事業に寿命はない。時代と技術と共に進んでいく。その時々の人たちの想いが未来を創っていく。遥かな昔、その誕生の頃、そして、その後の道のりのことを話すことになる。様々な困難を越えて今日がある。これから先も同様であろう。それらの出来ごとや経験を共有することが意味あることであればと思う。

慌ただしく桜の季節が過ぎていく  昔の話しをすることになった(2)

昔の話の準備を始めたが忘れていることが多い。色んなことは思い出すが、いつのことか、前後の関係はどうだったのか。時系列が怪しい。それで記憶をなんとか辿りながら、経過を図表にしてみた。

始まりの頃のこと、途中経過、そして現在に繋がること。その時々のできごとや苦労を思い出しながら、45年間が3枚の歴史チャートになった。大分わかりやすくなった。記憶には随分濃淡がある。色んな分かれ道や多くの困難がある。その時々の選択や決断が今に繋がっている。振り返って初めて、危うく細い道のりであったことに気が付く。懐かしくもあり不思議でもある。何かが導いてくれたのだろうか。

そんなことで慌ただしく桜の季節が過ぎていく。通勤途中のあちこちに素晴らしい桜の木があるがシャッターチャンスを逸してしまった。月曜日では遅すぎるだろう。

ウオーキングに出かけるいつもの公園の桜も満開だ。こちらのほうは未だ10年ほどの幼木で咲くようになってからまだ間がない。爛漫とまでは行かないが、年々の成長が感じられて嬉しい。

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昔の話をすることになった (1)発端 

会社の後輩から突然Mailがあった。昔の仕事の話をして欲しいという。45年も前のことである。話をするのは大の苦手である。今更無理と断りたいが、断れない訳もある。仕方がないので、"喜んでOK"と返事した。

散々失敗もしたが、教訓も得た。教訓は「準備をしっかりやること」「本当に話したいことを話すこと」である。それで何とかやってきた。世の中には、思考の回路と言語の回路が直結していると思わせるような人もいる。羨ましいことだ。

それで準備を始めることにした。仕事はあるし、ブログ記事の更新もある。色んなことを同時並行で考えるような器用さはない。先ずは話の準備に集中しよう。

しかしブログの更新は中断したくない。今の私には両方とも大切なものだ。それで、話の原稿作りをブログにすることにした。原稿とブログで相乗効果があるかも・・。一石二鳥となればいいのだが・・・。

 

 

京料理と枝垂れ桜の午後

京料理の昼食招待のプレゼントに当選したという。妻は何故かよく当たる。温泉、観劇、食事などさまざまだ。懸賞の応募に要領があるそうだ。友人を誘ったり私が付き合うことになったりする。今回は一緒に出掛けることになった。

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京料理は有名店の坪庭付きの和室で供された。広い窓越しに美しい庭が見える。懐石?会席?料理が次々に給されるが区別がはっきりしない。熱燗のお酒が合いそうだが、車なので諦めるしかなく、男性には味気ないこと甚だしい。妻はこれで充分満足とのことであった。

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食事のあと枝垂れ桜が見頃という京都御苑へ向かった。

御苑の駐車場は予想通り満車。幸いすぐそばのパーキングに駐車できた。

御苑は特別公開展示がされており、金曜日なのに沢山の人出だ。
旧近衛邸の枝垂れ桜は見事な満開になっていた。青い空に映えて素晴らしい。

新名神が開通してアクセスが大幅に改善。明るいうちに帰宅した。