残照身辺雑記

日々の出来ごとや感じたことなどのあれこれを記録します。

12月のポトスと寒蘭

相変わらず季節は落ち着かない。気温は上下を繰り返している。部屋のポトスは大きく育ってからは初めての冬越えになる。
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熱帯原産のポトスにとっての冬越えはどうなるのだろうか。

夏の間は盛んにツルを伸ばしていたが、今はさすがにその勢いは見られない。

秋になってから、葉が一枚落葉した。

よく見ると微かに黄色く色づいている葉も何枚か見られる。

もっと落葉するのだろうか。

寒さが苦手というが無事に冬を越えて欲しいものだ。

一方で、寒さに向かって元気なのは寒蘭だ。秋になって伸びだした花芽が更にしっかり伸びている。


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蕾がだいぶん膨らんできた。

この様子では大輪の二輪咲きになりそうだ。

これまでは5~6輪咲きだったのでどんな花になるのか楽しみだ。

開花は年明けになる。それまで元気に育ってほしい。

ポトスは屋内、寒蘭は屋外の風よけ小屋で、加温などはなしの自然任せ。それぞれに頑張ってもらわないといけない。

冬の入り口"朔風払葉の候" 樹木ウオッチング(1)「クヌギ」

 11月も末になったが、寒暖は行きつ戻りつ、季節は今一つはっきりしない。予報通りに暖冬ということなのだろうか。72候によれば、小雪次候(11/27~12/1)は"朔風払葉"の候。その名の通り北風に吹き払われた木々の黄色い落ち葉が散歩道をすっかり埋めている。

散歩コースに、白っぽい幹がすらりと伸びてよく目立つ高木の群生がある。黄色く色づき始めていて、落葉広葉樹と思われるが、葉がまだ多く残っている。
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付近ではよく見かけるとても美しい樹木だ。

名前は知らないので帰って調べることにして、幹の写真と葉と実のサンプルを持ち帰えった。

以下の特徴が一致して、樹木の名は「クヌギ」と判明した。; 


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樹高:15-20m。

葉:互生、長楕円形。鋭い鋸歯。薄く硬い。表面にはつやがある。

樹皮:暗い灰褐色。厚くコルク状で縦に割れ目が出来る。

実:ドングリの仲間。直径が約2cmと大きく、ほぼ球形。椀型の殻斗につつまれている。殻斗の回りに細く尖って反り返った棘状の鱗片がある。

新緑・紅葉が美しい。紅葉後に完全な枯葉になっても枝からなかなか落ちず、2月くらいまで枝についていることがある(quote-wiki)。
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子供の頃を過ごした黒部市に椚町(くぬぎちょう)という地名があった。

それで、「クヌギ」という名前自体は、とても親しみ深いものだった。

ただ、それがどんな木なのかは、知らないままでいたが、今回、たまたまそれを知ることになった。

椚町は「クヌギ」にどんなゆかりがあるのだろう。実際にその木があったという記憶はない。調べていると;

市のHPの市指定文化財[天然記念物]の解説記事に、「椚町」に触れて、「町名の「椚町」は、この地域一帯の平野部が、「クヌギ」などの樹木からできた暖温帯性の落葉樹林であったことを物語っている」との記述を見つけた。その町名は落葉樹林の木々に囲まれた遠い昔の故郷の姿を伝えているのだろうか。

秋の一日ドライブ 奈良の遺跡巡りと名産品ショッピング

秋晴れが気持ち良さそうなので奈良の遺跡巡りとドライブショッピングに出かけることにした。今日の目的地は卑弥呼の里・纏向遺跡です。

奈良は片道1時間強で手ごろなドライブ先である。名所旧跡・歴史遺産・神社仏閣など目的地にはこと欠かない。歴史と自然の豊かさが素晴らしい。たまたま買い物に立ち寄った先が、妻が気に入って、近頃はShoppingがドライブ計画に入るようになった。

f:id:afterglow0315:20181117125947p:plain大阪から奈良へは府県境の生駒-金剛山系をトンネルで越えることになる。

北から順に、

第二阪奈有料道路東大阪市奈良市

西名阪自動車道藤井寺市天理市

南阪奈道路が曳野市と桜井市を結んでいる。

3つの高速道路のいずれかを通るが、ショッピングは★1★4に決まっているが、観光の目的地によってルートが決まります。

奈良の名所旧跡・歴史遺産・神社仏閣はとても多くて、どう回ればいいのか悩ましいが、時代ごとにある程度地域的にまとまっているので、時代やテーマを決めるといいでしょう。各所に展示館や資料館が整備されていて歴史知見が説明されています。ドライブマップに主な遺跡群を記入しました。少し勉強してから出かけます;

先ず一番目は;唐古・鍵遺跡です。弥生時代前期の紀元前500年頃から弥生時代後期の西暦150年頃までの約700年間、奈良盆地中央部に国内最大規模の環濠集落とし繁栄しました。ところが西暦150頃になると急速に衰退してしまいます。衰退のタイミングがとなりに突如出現した纏向の造営・隆盛と軌を一にすることから、新都の建設に伴い、唐古・鍵の主要な機能が纏向周辺に移ったのだとする説があります。即ち、唐古・鍵は邪馬台国であり、倭国連合の盟主として、纏向の新首都の建設を主導し、その主に収まったというのです。解明が待たれますね。唐古・鍵遺跡は国の史跡公園として整備され、開園したてのピカピカです。

次は;纏向遺跡です。言わずと知れた邪馬台国論争の現場です。纏向遺跡は西暦150年頃に急に現れて、その後、西暦300年頃まで続いたとみられています。わが国最初の人工的に建設された政治都市の遺跡であると考えられています。遺跡の発掘は未だ数%程度ですが次々とその姿が明らかにされています。唐古・鍵遺跡のすぐ東となりで場所も時代も繋がっていると考える学者もいます。

論争の主人公女王卑弥呼についてですが、幼少の頃、唐古・鍵の邪馬台国の王宮で育った卑弥呼が、長じて、倭国連合国の首都纏向の王宮の女王になったというのです。ロマンですね。西暦248年に没した彼女は箸墓古墳に眠るといいます。傍らには崇神天皇陵が寄り添い、両脇を三輪大神神社石上神宮が固めています。

ここ纏向の王都から、倭国統一に向けた波乱に満ちた一歩が始まったのでしょうか。巻向の遺跡にはどんなドラマが秘められているのでしょうか。

次は;順番からすると古墳時代遺跡ですが、遺跡は散在しているので、上のドライブマップには記入していません。古墳時代は、纏向の王都が姿を消した西暦300年頃から、飛鳥に崇峻天皇の宮が開かれた西暦592年までの約300年間です。巨大前方後円墳が次々と築かれた時代になります。
卑弥呼のために建設された箸墓古墳が最初の巨大前方後円墳のはじまりとされ、以降、巻向周辺(西暦250-300)、次いで奈良盆地北部(西暦350-400)、そして大阪平野(西暦350-450)に建設され、最後はAD600年頃には東北、九州にまで達しました。巻向に生まれた初期ヤマト王権が、各地の豪族を次々と支配下に収め、その証として前方後円墳が建設されていったのではないかと考えられています。

古墳時代は、倭国の王権が拡大・強化され、飛鳥の古代日本国の成立につながる、とても重要な時代です。ところが、纏向時代のことは魏志倭人伝の記述などである程度客観的な事実を知ることが出来るのですが、古墳時代の300年間の内、前半の約150年間は中国の歴史書からも記録が途絶えてしまうのです。このことから「空白の4世紀」と呼ばれ、この期間は歴史資料の裏付けがない謎の時代とされています。

古墳の主は誰なのか?それはいつだれが作って、だれが葬られているのでしょうか?王権確立の争いは誰がどのように戦ったのでしょうか。武器は?材料の鉄の入手は?輸入先という朝鮮半島との関係は?など知りたいことはいっぱいです。古事記日本書紀にはヤマトタケルの活躍など、その経緯と思しき出来事が詳しく記述されています。しかしどこまでが史実なのか。年代の特定はどうなのか。判然としないのです。様々な解釈がなされています。いつかは決定版を知りたいものです。陵墓古墳の調査が謎を解く鍵とのこと。その解明の日は来るのでしょうか?

さて次は;飛鳥時代遺跡群です。飛鳥は今につながる日本の始まりの舞台です。崇峻天皇の宮が開かれた西暦592年が飛鳥時代の始まりとされます。文字が伝わったので、同時代の文字記録があります。ここからは史実としての歴史を知ることができるのです。

この時代、ようやく日本の統一が果たされていました。しかしその実態は、天皇を軸とはするものの、強大な豪族や有力な貴族たちによる連合国家でした。権力を巡る争いや、半島経営の情勢などに、国の基盤はしばしば揺るがされていました。

飛鳥時代は、そのような状況から脱するべく、天皇中心の強力な中央集権国家の確立を目指した革命の時代と言えるでしょう。乙巳の変(西暦645)、白村江の戦(西暦663)、壬申の乱(西暦672)など数々の内憂外患を克服して、最終的には大宝律令の制定と政治都市藤原京の造営をもって、律令制国家体制が完成されました。

キトラ古墳高松塚古墳石舞台古墳飛鳥寺など飛鳥の遺跡群は盛りだくさんです。中でも国家の根幹を定め運営する場所となったのが藤原京(西暦694~西暦710)です。大宝律令はここ藤原京で西暦701年に完成、西暦702年に施行されました。今は大極殿基壇跡を残すのみですが、赤い列柱がこの大極殿院閤門跡を示すために設置されています。法治国家としての日本が誕生した記念碑といえるでしょう。

最後は;奈良遺跡群です西暦710年平城遷都によって奈良時代が始まりました。説明は不要でしょう。ただ、平城宮跡歴史公園はお勧めです。整備が始まった頃に比べると様変わりに内容が充実しています。古代の政治都市平城京がリアルに再現されています。奈良といえば神社仏閣となりがちですが、一味違うおすすめの施設です。建設・整備が続けられており、まだまだ充実していくでしょう。


さて、勉強が長くなってしまいました。ドライブショッピングに出発します。今日の目的地は纏向遺跡といつもの買い物なので、ドライブルートは、行きは南阪奈道路で、帰りは西名阪道です。

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 最初の買い物は今井町の「河合酒造」の奈良漬です。

杉玉が下がっている。新酒ができた合図とか。

店に入ると早速新酒を勧められるが残念ながら日本酒は苦手。いつもの奈良漬を購入。

橿原市今井町は国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されており、今も全国最多の500戸もの昔の家屋が残っていて、江戸時代の素晴らしい町並みが保たれています。

「河合酒造」を営む河合家は地区で指定されている8軒の国の重要文化財住宅の一つです。記録の残る限りでは1772年(安永元年)には既に酒造りを営んでいたとのことです。
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 さて次はまほろばキッチン橿原店」です。

JAならけんが運営する農産物の直売所です。

国道に面していて広い駐車場。

売り場面積は全国最大級とのことで、地場農産品は何でもあります。

本日の買い物は、地元名産の富有柿と卵とこんにゃくでした。

次は三輪山本」です。三輪そうめんの本場桜井市三輪の有名店です。自家製造の三輪そうめんを直販しています。道路沿いの木立が配された敷地が美しい販売施設です。売り場は広くてきれいです。併設されているレストランも素晴らしいです。すぐ目の前が箸墓古墳です。今日は時間が早かったので、車を駐車して、先に、纏向遺跡箸墓古墳を回って、そのあと買い物と昼食にします。
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纏向遺跡の辻地区の一角です。

少し前までは何もなかったですが、整備が進められています。

居館跡の掘っ立て柱が再現されています。

卑弥呼が住んだのでしょうか。

案内板も設けられました。埼玉から来たというご夫婦に声を掛けられた。これから三輪神社に向かうとのこと。下記は桜井市の広報URLです。詳しく説明してあります。http://www.city.sakurai.lg.jp/bunkazai/1523259774383.html


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  箸墓古墳です。纏向の居館遺跡から徒歩10分です。

環濠に美しい姿を映しています。

卑弥呼が没して1,770年。今もここに眠り続けているのでしょうか。

纏向遺跡箸墓古墳をぐるっと歩いて一回りして「三輪山本」に戻ってくると、1時間強でした。買い物と食事をして出発です。

最後は天理市「近藤豆腐店です。道路沿いの店に、以前、何気なく立ち寄ったのがきっかけです。以来、いつも寄るようになったお店です。途中、時間があったので黒塚古墳に立ち寄って、併設されている黒塚古墳展示館を見学することにしました。


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33面の三角縁神獣鏡が出土したことで有名な黒塚古墳天理市柳本町)です。

美しい前方後円墳です。

写真の手前側が後円部で周濠に架かる橋の部分が見えています。左手奥が前方部になります。

黒塚古墳展示館では発掘時の竪穴式石室の様子の実物大模型と出土した33面の三角縁神獣鏡のレプリカを見ることができます。卑弥呼が魏の国から贈られたという100枚の三角縁神獣鏡の一部なのでしょうか。鏡のことはまだまだ謎とのことです。

最後に「近藤豆腐店の買い物を済ませて帰路についた。気持ちの良い秋の日のドライブショッピング。今回立ち寄った史跡・資料館等は全て入場料・駐車料が無料。これも嬉しいことでした。贅沢な一日になりました。 

立冬の木々は冬支度  樹木ウオッチング;先ずは樹木の名前を知ろう

立冬というが少し歩くと汗ばむ陽気だ。今年は暖冬の予報。それでも散歩コースの木々はそれぞれに冬支度を始めている。


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街路のケヤキは色づき始めたと思うとあっという間に落葉してしまった。

冬の備えに一番乗りだ。

先端の細い枝までが空に向かって思い切り真直ぐ伸びているのがよく見える。

 

 

公園のユリノキはオレンジとイエローの葉がきれいなまだら模様を作っている。f:id:afterglow0315:20181111184556p:plain

一目で外来種と思わせる整った樹形が高く伸びて美しい。

アメリカ中東部が原産で明治の始めにもたらされた種が始まりという。

夏の間は木々はどれも青々としていて区別がつかない。

秋から冬への今の時期は少なくとも落葉樹と常緑樹の違いがはっきりしてくる。樹木の種類を知るには良い季節かもしれない。名前が分かればウオーキングの楽しみが増すだろう。

 シイ、カシ、ナラ、ブナ、クス・・どれも名前は馴染み深いが、さて区別はというと見当がつかない。樹木の名前は似たようなものが多くて、おまけに姿かたちもよく似ている。混乱してしまって、結局、簡単な木々の見分けさえできないことになっているのだろう。

樹木の名前を覚えるのに何かいい方法はないものだろうか。植物学的には樹木は「科」→「属」→「種」と分類されるというが、これをマスターするのはとても無理。それで実際的なのは、誰にでもわかる特徴をもとに分類して、種類を知るのがお勧めとのことである(感動樹木HP、life-info.link などより)。

常緑樹と落葉樹、針葉樹と広葉樹は誰でも区別がつく。日本には約2,200種の樹木があるが、生態的には常緑又は落葉の2区分、形態的には針葉又は広葉の2区分になり、従って樹木は2区分✖2区分=4区分に分類されることになるとのこと。その区分は;

常緑針葉樹:この種類は少ない。アカマツクロマツ、スギ、ヒノキ、モミ

落葉針葉樹:この種類は非常に少ない。カラマツ、イチョウメタセコイア

常緑広葉樹:この種類は多い。クスノキシラカシ、アカガシ、マテバシイ

落葉広葉樹:この種は非常に多い。ブナ、クヌギ、コナラ、ケヤキ、コブシ

 樹木ウオッチングの初心者は、先ずは、初めに、日本の広葉樹のメインになっている4種類の樹木をしっかりと抑えることから始めたらよいとのこと。その4種類とは;常緑広葉樹のシイとカシ。落葉広葉樹のブナとナラ。これなら何とかなりそうだ。

ちなみに日本の森林面積の分布は、50%が針葉樹林、40%が広葉樹林、10%が混合林で、そのうち常緑広葉樹林が約6%、落葉広葉樹林が約35%を占めているとのこと。