残照身辺雑記

日々の出来ごとや感じたことなどのあれこれを記録します。

立夏を迎えたCovid-19  「綺麗」の国の生活文化

今年の立夏は5月5日。夏の始まりの日です。24節気の立夏は5日から19日まで。夏を迎えてかCovid-19ウイルスの脅威は減退。当地大阪もようやく自粛要請も緩和の方向となった。しかし常にウイルスを意識しないといけない"新たな日常"が始まるという。かつての日々は戻ることはないのだろうか。

感染の様子が各国によって大きく異なっている。日本はといえば、感染者数などの指標が総じての少ないことが際立つ。どうしたことだろう。特に変わった感染対策があったとも思えないのだが・・。その違いがあまりにも大きい。それをもたらしたものは何なんだろう?

衛生観念の違い、手洗い励行・マスク着用の習慣、お辞儀(非接触挨拶)の文化、靴脱ぎ習慣など、日本は異質の生活文化の国である。それらがプラスに働いたのだろうか。加えて、BCGの接種歴や接種株についての論や政策の巧拙など様々な議論が盛んである。

暇に任せてのネット検索でヒットしたことなど ;

”衛生観念”をネット検索すると、外国生活での体験が語られています。食器洗いの丁寧さ具合、遊んで汚れたままの手で子供がお菓子を食べても親は気にしないし、子供に手洗いの躾けをしない・・・など。日本人の普段の何気ない生活習慣が、他国の標準からすると”潔癖症”ととられるほどという。

綺麗好き文化は日本人の中には定着している。「綺麗」という言葉自体が「美しい」と「清潔」の両方を指している。「綺麗」は日本の生活文化を象徴している。

 

"世界とつながる挨拶ー礼儀の国、日本よりー"と題する文章に出会った。中学3年生の川瀬利那さんが卒業研究として”お辞儀の文化”について調べて論じたものです。中学生とは思えない素敵な内容で興味深いものでした。

接触型の挨拶の習慣(お辞儀文化)と接触型の挨拶の習慣(握手・ハグ・キス文化)を比較して考察。その違いは「パーソナルスペース」に由来するのだろうとして、「欧米人やアフリカ人が体を密着させる挨拶が多いのはパーソナルスぺースが狭いのだろう。一方、日本人や韓国人はパーソナルスぺースが広いので、お辞儀式の挨拶になる」と指摘しています。(Personal-spaceとは、他人に近付かれると不快に感じる空間のこと。心理的な縄張りのようなもの。)欧米の感染爆発に通ずることなのでしょうか。

https://www.hidaka-h.wakayama-c.ed.jp/chuko/sotugyokenkyu/heisei23/syakai%20kawase.pdf#search=%27%E7%A4%BC%E3%81%AE%E7%BF%92%E6%85%A3%E3%81%AE%27

 

潔癖とも取られる「生活習慣」、「綺麗」を「美しい+清潔」とする美意識、固有の「パーソナルスペース」は、私たちが受け継ぐ貴重な生活文化の遺産。"新たな日常"の時代の中でも、私たちを支えてくれる基盤になってくれるだろう。