残照身辺雑記

日々の出来ごとや感じたことなどのあれこれを記録します。

1939年(昭和14年)生まれ(続編)

前回は1939年(昭和14年)生まれの未来を考えた。今回はその裏返しの我々世代の終焉を考えてみよう。人はなぜ死ぬのか、人はいつまで元気なのか。

厚労省生命表に年齢ごとの死因別死亡確率が示されている。75歳と100歳男性の死因は、心疾患15%/16%(75歳/100歳)、脳血管疾患8%/7%、肺炎10%/18%、悪性新生物25%7%、老衰7%/27%、その他の疾患8%/8%、事故・自死等3%/3%となっている。

年齢が進むにつれて、肺炎と老衰による死亡が大きく増加し、悪性新生物による死亡が急減する。他の死因についてはあまり変わらない。

肺炎は免疫機能の低下、老衰は細胞や組織の機能の低下によるとされ、これら機能の低下は老化によって進行する。一方、それ以外の疾患は、生活習慣からくる環境因子及び体質とされる遺伝的因子の組み合わせに原因するという。

結局、人の死は老化と生活習慣と遺伝の3要素によって支配されることになる。老化という避けることのできない流れの上に生活習慣と遺伝という個人的な要素が加わって個々人の死が定まる。我々はこれを自然なこととして受け入れなければならない。 

それでは人はいつまで元気でいられるのか。近年盛んに健康寿命という言葉を聞く。いつまで元気かという設問に答えてくれるのだろうか?

健康寿命について以下の解説がなされている。男性の場合、平均寿命は80.21歳であるが、健康寿命は71.19歳であり、その差は9.02年である。女性の場合差は12.40年である。健康寿命とは健康に過ごせる年数のことなので、この差の年数は、健康な期間が終わって死を迎えるまで過ごす不健康な期間に当たる。9年も10年も不健康な期間を過ごすことは大変だ。従って健康寿命を延ばすことが大切だ。云々・・。

俄かには信じられない数字である。これまでも見た通り、例えば78歳男性の平均余命は10.11年である。健康寿命が上記の71.19歳であるならば、これは既に尽きているので10年の余命は不健康に過ごすということになる。そんなことがあるのだろうか?

健康寿命はアンケート結果と生命表を組み合わせて健康な期間を試算するという。それが可能であればとても興味深いことである。加齢と健康寿命の関係はどうなっているのだろうか?しかしながらそのような試算結果は示されていない。

78歳の男性の健康寿命は71.19歳のままなのだろうか?あるいはそれは伸びるのだろうか?そのような試算が本当にできるのだろうか?計算の根拠や理論を知りたいと思ったが、調べた限りでは、明快なものは見当たらない。残念ながら曖昧なままでその仕組みを理解するには至らなかった。よってこれ以上健康寿命を論ずることはGive-Up!とする。

折角なので指標をいくつか挙げておく。健康寿命が短いと悲観的に論じられているのとはだいぶ違うように思える。みんな元気だ!

要介護認定率(厚労省);70~74歳6.3%、75~79歳13.7%、80~84歳26.9%、85~89歳45.9%、90歳~68.0%

延命治療の意識調査(内閣府);延命治療を望むものH.14年9.2%、H.19年7.4%、H.24年4.7%。望まないものH.14年81.1%、H.19年87.7%、H.24年91.1%

意識調査(厚労省);自分が健康であると思うもの(男)60-69歳84.2%、70-79歳77.0%、80歳以上65.0%

                

 

 

栗田浜の釣り

暑さも少し和らいだので栗田浜に出かけた。20年来のキス釣りのホームグランドである。北近畿はあちこち出かけたが釣果は何処も変わり映えしない。栗田駅前の駐車場がいつも空いていて浜にも近くて便利なのでここに落ちついた。大釣りはないが、寸長28㎝超の大物キスが釣れたこともあり、そこそこ楽しめていた。何より安全で砂浜もきれいで気持ちがいい。

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そんな栗田浜であるがここ数年はあまりいい思いをしたことがない。数年前に浜の中央部の沖合に波けしブロックの防波堤が築かれた。500m位の規模のものだが影響しているのだろう。あるいは京都縦貫道が完成して便利になったせいか。型は小さくてあたりは渋い。以前はあたりがあればほぼ針掛りしていたのに空振りになる。釣り場が荒れたとはよく聞くがこれがその症状なのだろうか。それでも出かけるのは栗田浜になる。

今日も案の定釣れるのはチャリコと小さいカワハギだけでキスの気配はない。海はすっかり秋の季節に入っている。そもそもここでのキスの盛期は梅雨入りのころから盛夏までで、それ以外の時期はあまり期待できない。それでも出かけてくるのは万が一の期待と海辺の爽快な気分に惹かれてのことだ。釣れないことは慣れてしまっているので気にならない。

日差しは強いが海風はからっとした秋の気配だ。丸い形の栗田湾は穏やかで静かに光っている。遠くの湾口に島影が小さくかすんで見える。いつもの光景だ。ふと、娘がこの海岸で泳いだことを思い出した。あれはいつ頃のことだったか。

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今日の可愛いい釣果⇧ かつては釣れた28㎝の大物キスやアオハタ・キジハタ⇩

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1939年(昭和14年)生まれ

昭和14年の出生者数は極端に少ない。生まれた者の数は1,901,573人で、その前後に比べると10~15%も少ない (昭和13年もかなり少ない)。日中戦争が始まったからという。欧州では第2次世界大戦も始まっている。戦争の申し子というべきか。ところが、小学校の入学は昭和21年であり、私たちは戦後教育の第1年生になった。平和の子でもある。

今年で78歳になる。昨年10月時点での生存者数は1,167,000人(男性520,000+女性647,000)である。約40%の者が亡くなっている。昭和14年生まれには誰もが知っているような有名人は見当たらない。地味で存在感は薄い。己卯年らしいと云うべきか。我々もいずれ退場となる。この先の未来はどんなものだろうか?

厚労省が毎年公表する簡易生命表というものがある。1年間の死亡者数を年齢別に集計しただけの単純なものだが、これをもとにすると、人の死についての様々な指標が推計できるという。ある年齢の者が平均してあと何年生きることが期待できるかの年数が平均余命として生命表から計算され表示されている。

平成28年簡易生命表によると、昭和14年生まれの77歳男性の平均余命は10.80年、女性は14.17年である。即ち、平均的な男性の場合77+10.80=約88歳まで、女性は約91歳まで生きることが期待できることになる。

さて11年後に88歳になった者はどうなるか?もちろんそれで終わりということではない。同じ生命表を適用すれば(実際には変化する)88歳男性の平均余命は5.00年とあるので、この男性は93歳までの生存が期待されることになる。更に、93歳での平均余命は3.37年なので寿命は96.4歳。これを繰り返していくと100歳の時点でも平均余命は1.89年ある。誰もが100歳超の超長寿者になる可能性がある??どんなことなのか?もう少し具体的に見てみよう。

簡易生命表の年齢別の死亡率から集団の年ごとの死亡者数が計算できる。28年の簡易生命表を使って昭和14年生まれ77歳男性の集団についてエクセル表計算を行うと;

平成28年には520,000人であった生存者の数は、平均余命である10.8年後の88歳の時点では生存者は約253,400人、それまでに死亡した者の数は266,600 人であった。88歳の平均寿命に達するまでに半数以上の者が死亡するということである。現実は厳しい!さらに92歳での生存者は約130,000人(25%)、96歳での生存者は約50,000人(9.6%)と計算される。

もう少し身近な数字は死亡率かもしれない。77歳男性の年間の死亡率は3.32%。3%では死は中々現実的には感じられないのかもしれない?87歳では10.9%、92歳では18.5%、96歳で26.8%になる。

以上が昭和14年生まれの未来図のスケッチである。余命宣告でもある。残された月日は長いのか短いのか。いずれにしても限りあるもの。残照は明るく照り映えてみえる。しかし時は刻々と刻むを止めない。私には死は未だ遠い遠いものにしか感じられないのだが・・。

 

オリズルランが枯れてしまった

先日UPした途端にオリヅルランが枯れてしまった!しかも二鉢が一緒に!どうしたことだろう?根元のほうが少し茶色くなったと思ったらあっという間に黒い根腐れ状態になってダメになってしまった。暑さのせいか病気のせいか。2年間も元気でいてくれたのに・・。プランツロスとまではいかないが少し可哀そうな気分。でも次の相棒を探そう。