残照身辺雑記

日々の出来ごとや感じたことなどのあれこれを記録します。

8月15日"天佑神助"が潰えた日  

湘南の暇人さんのブログ「無明庵」を読んだ。太平洋戦争中に頻出する四文字熟語"天佑神助”を論じて、無謀かつ悲劇的なこの戦争を戦った日本とその指導層の非科学性と無責任さがこの四文字に凝縮されているとある。あるものは"天佑神助"を恃んで命を捧げ、あるものは"天佑神助"に責任を転じ己を隠蔽した。同感させられるところ多し。

ブログ「無明庵」は太平洋戦争論がライフワークと自称される湘南の暇人氏のブログです。終戦直前に戦没した自身の父への鎮魂と理不尽な戦へのやり切れない思いが込められています。(http://www1.odn.ne.jp/~ceg94520/mumyouan/mumyou00.html

"天佑神助"とは"天の助け神の助け"であり、これを頼っての戦争遂行などありえない。物量と科学技術が雌雄を決する近代戦争に"天佑神助"が助けになると信じた日本とはどんな国なのだろう。鎮魂にはこのことへの答えが要るのだろう。

太平洋戦争の開戦に際して日本国(当時は即ち天皇)が発した宣戦布告(=開戦の詔勅1941年12月8日 )は以下の通りで、冒頭"天祐"で始まる;

天佑ヲ保有万世一系ノ皇祚ヲ践メル大日本帝国天皇ハ昭ニ忠誠勇武ナル汝有衆ニ示ス。朕茲ニ米国及英国ニ対シテ戦ヲ宣ス(注釈;天祐: 天の助け 皇祚を践()む: 天皇の位につく 昭(アキラカ)に: はっきりと 有衆:国民)。以下省略。 

歴史上、日本が宣戦布告をしたのは日清戦争日露戦争、太平洋戦争の三回(日中戦争では発していない)であるが、それらの開戦の詔勅は、そのいずれもが、冒頭の文言は同じで、"天祐"の語句から始まる。日清日露の戦勝の記憶と結びついて、"天佑"が太平洋戦争の戦勝希求の象徴となったのだろうか。

しかし、"天佑"は、本来、未知なる力への畏敬と感謝の語句であろう。「天佑ヲ保有万世一系ノ皇祚ヲ践メル」とは「天の助けによって万世一系天皇としての位についている」ということ。天皇が"天佑"という超能力を持った存在としてその地位にあるという意味ではない。決して"天佑"は恃むことではなかった。