残照身辺雑記

日々の出来ごとや感じたことなどのあれこれを記録します。

ブログをはじめた訳(2) ブログ映え生活?

ブログを始めて2か月半になった。自分のために始めたことで、誰かに何かを伝えたいということではない。誰かの目に留まればそれはそれで嬉しいが、気恥ずかしい気持ちもある。多少なりとも受け入れられればいいのだが知る由もない・・。ということでブログを始めたことは今のところ誰にも言っていない。

ブログを始めた気持ちなどを考えてみる。今日は体育の日で休日。ジンクスどおり秋晴れだ(ジンクスの反対語がないので良い方にも使う?!)。昼には気温が上がって熱中症に注意という。窓から入る風は少し湿っぽいが涼しい。朝食、自室の掃除、柔軟体操と朝の日課を終えた。週の前半なので仕事に出かけるところだが今日は休日でウオーキングになる。少し時間があるのでのんびりとPCの前に座っている。そしてこの記事を書き始めた。

記事のテーマは漠然としていて形はない。あれやこれや考えながら前後し左右し少しづつ進む。ブログを始める前は記事のネタがあるかと心配した。"ブログ映え"する生活がいるかと思ったりした。だが大変なのは”ネタ探し”ではなくて"物を書く"ことの方だ。どんなネタでも物語を秘めているように思う。それを書き切れば記事になる。書くことを始めてみて感じたことは物を書く人に対する敬意だ。何気なく読み飛ばしてきたことの中に込められた書き手の切なる思いがある。ウオーキングの時間になった。

休日の公園は賑やかだ。季節も良い。小さい子供を連れた若い家族が多い。何組も野球やサッカーのボール遊びをしている。それでも公園は十分に広い。公園を囲む住宅地は新しいのでまだまだ埋まっていないのだ。公園の隣にはショッピングセンターの用地が用意されていて、その空き地で愛好家たちがドローンやヘリを飛ばしている。そして行きかえりにはジョギングの人たちにすれ違う。休日ならではである。予報通り気温が上がってすっかり汗をかいて帰った。

日々の漠然とした物足りなさから「ブログを始めよう!」となったのだが、記事を書くことは大いに慰めになることがわかった。書き上げれば達成感が得られる。納得いくものになれば幸福感が得られる。過程は必ずしも楽しいわけではない。苦しさみたいなものもある。強制されたものでもない。時間に定めがあるわけでもない。新しい着想が湧くこともある。そのうちに着地点が見えてくる。納得できる記事になるといいのだが・・・。