残照身辺雑記

日々の出来ごとや感じたことなどのあれこれを記録します。

読書雑記帳 (11)日の名残り/カズオ・イシグロ

日の名残り」を読んだ。ノーベル賞作家カズオ・イシグロの代表作である。それにしても気になるタイトルである。原題は"The Remains of the Day"。美しくかつ意味深長・・。それは一日の終わりのことなのか、はたまた人生の終章のことなのか?作家は何を語るのだろうか。

物語の主人公スティーブンスの職業は執事である。そのキャリアに強い自負を抱いている。彼は雇い主への忠誠とより良いサービスの提供が執事にとって絶対的な価値であると信じており、その価値観にすべてを捧げている。そして彼は理想とする執事像に近づいていると自認している。

彼の自負心の源泉は、英国有数の由緒あるダーリントン・ホールの執事であること、かつその館の主人ダーリントン卿への崇敬の念にある。

執事という職業とは?貴族の大邸宅の運営とは?大英帝国の貴族社会とその没落、イギリス政治の裏面史など、馴染みは薄いが興味深い題材と共に、美しいイギリスの田園を背景に、主人公スティーブンスの特異なキャラクターと心情が明かされる。

彼は、突如として、拠り所としてきたバックグランドを失ってしまう。滑稽なほどに信念に忠実で生真面目な仕事人間スティーブンスが、執事としての転機にたたされる。そして見出した新たな生きがいとは・・?

 

日の名残り/K・イシグロ(土屋政雄訳)/2001早川epi文庫(原著刊1989)

第二次世界大戦終結と同時に主人公スティーブンスの境遇は一変する。

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ダーリントン卿が失脚し没落。邸宅ダーリントン・ホールはアメリカ人実業家ファラディ氏の所有となる。

新たな主人ファラディ氏に仕えることになったスティーブンスは、環境の激変に戸惑いながらも執事の職務に当たっている。

そんなある日、一時帰国するというファラディ氏の計らいで不在中に旅行に出かけることを勧められる。しかも屋敷の高級車を使ってもいいという。

しかし仕事人間のスティーブンスには、主人の留守中とはいえ、数日間の気晴らしの旅行など思いもよらないことであり、許されることとは思えない。

思い悩むうちに、彼は、今は退職しているかつての同僚の女性に会いに出かけることを思いつく。屋敷には女手が不足しており、かつての女中頭であった彼女に復職を勧めてみようというのだ。彼なりの大義名分を得て、彼女が住むという田舎町に向けてドライブ旅行に出発する。

美しい田園を町から街へと旅しながら彼は自らの過去を振り返る。

彼が信条とする執事の品格とは?彼が崇敬したダーリントン卿とは?祖の失脚の理由とは?父の死さえも二の次にしてしまうほどの執事の仕事への献身。かつての同僚であった女中頭との関わり合いと確執など様々なエピソードが語られ、彼の過去とキャラクターが明らかにされる。

そして彼の自負の拠り所であったダーリントン・ホールとダーリントン卿の権威が失われた今、スティーブンスはいかに生きるかという問題に行き当たる。それでも彼は自分の生き方にいささかの疑問を持たないし、執事としての価値観のすべてを肯定する。そして、新しい状況での新たな目標を見つける。彼の見出した目標とは・・?彼は新しい目標に向けて再び歩き出す。そして物語は閉じられる。

 

読み終えて、さて感想を書こうと思ったが、書きたいことがなかなか思い浮かばない。主人公達への共感や反発、事件や状況の疑似体験、新しい知識の獲得など、読書の楽しみは新しい自分を作ってくれることだが、そういったことがすぐには感じないのだ。この物語にはもっと深読み・裏読みがいるのだろうか?英国流のユーモアや皮肉が潜んでいるのだろうか?残念ながら自分の感性と理解は及ばない・・。

日の名残り」というのタイトルから勝手に期待したことがあった。それは人の最終章が語られるかもという期待である。勿論それは今現在の自分に照らしての勝手な期待なのだが・・。スティーブンスはゆるぎない価値観を抱いて迷いなく歩いて行く。作家は人生の黄昏を描いているが日はまだ高い。スティーブンスの最終章はまだ先のことなのだ。