残照身辺雑記

日々の出来ごとや感じたことなどのあれこれを記録します。

読書雑記帳 (10)アンナ・カレーニナ/トルストイ(木村浩訳)/新潮文庫 

ロシア文学をすすめられた。カラマーゾフというが、ハードルが高そう。それで、先ずは、トルストイからにした。図書館は入館停止が続いて、貸し出しは、伝票での依頼と窓口での手渡しのリモートである。本選びもままならない。

書物や書物や文章の冒頭にある短文を"エピグラフ(巻頭引用句)"といい、そこには、作品に託す作者の思いが込められているという。とはいえ、概して、謎めいていて、判然としない印象である。普段、あまり気にとめることがない。

アンナ・カレーニナ」には"復讐はわれにまかせよ、われは仇をかえさん"というエピグラフが置かれている。聖書からの引用句だろうか、自分には理解不能と、やり過ごして、本文を読み始めた。

文庫本で上中下三巻の長編で、読了できるか心配したが、時間はかかったが、難なく面白く完読した。主人公アンナの不貞とその悲劇的な結末の物語である。単純で明快。ストーリーや人物の理解に苦労や疑問はない。主人公たちの個性が光っていて素晴らしいです。まさにキャラが立つ!です。

しかし、読み終えて、ふと、作者は何を訴えようとしているのだろうと思った。トルストイが込めた思いとは何だろうか。今度はエピグラフのことが気になった。

エピグラフをこの小説に即して言い換えれば"報いのことは、神である私にまかせなさい。神である私がその報いを与えることにしましょう"となろう。 復讐は万能の神にしかできないということであろうか?

著者は、アンナの不幸と悲劇は、不貞に対する当然の報いであると断罪したのか。それとも、神に代わって断罪することはできない。アンナが自死に込めた"復讐"は神が預かるというのだろうか?アンナの自死は自らのものなのか。それともそれは神の手によるものなのか。信仰に縁遠いものにとって理解はむつかしい。

アンナ・カレーニナトルストイ(木村浩訳)/発行1972 新潮文庫(原著 1877)

f:id:afterglow0315:20210626193548p:plain

 作家が、17回も書き直したという有名なフレーズから物語は始まる。「幸福な家庭はすべて互いに似かよったものであり、不幸な家庭はどこもその不幸のおもむきが異なっているものである。」

人妻アンナと貴族の娘キティが、不幸な家庭と幸福な家庭を体現する主人公である。

アンナとキティは、トルストイが作り上げた、絶世の美女であり、理想の女性である。誰もが魅了される。しかし二人は対極の愛を生きることになる。

舞台は、19世紀後半のロシアの貴族社会。小説は主人公たちを巡る人間模様の描写に終始し、時代背景に触れることは殆どない。どんな時代だったのだろうか?以下調べ事;

1856年クリミア戦争に完敗して、自身の後進性を痛感したロシアが、1861年農奴解放令、60年代の産業革命の導入など、近代化への歩みを始めた時代であるという。1853年の黒船来航から、1867年の大政奉還、そして文明開化へと、奇しくも、同時代に日本が歩んだ近代化と、驚くほどその軌を一にしている。

当時のロシアの人口は6,000万人。うち100万人が貴族であった。農奴解放令は、農奴を法的には解放したが、自作農を創出することにはならず、彼らは、実質的には小作農として、地主、即ち貴族、に対する重い負担を、引き続き負うことになった。ロシアの後進性は依然として残存し、近代化はまさしく黎明期にあったのだ。

かくして、ロシアの貴族社会はその爛熟期を謳歌していた。人々の生活の中心は、舞踏会と社交である。ペテルブルクやモスクワの大都市では、シーズンには1,000回の舞踏会が開かれたという。シーズンオフには海外の別荘暮らしである。青年貴族たちは、政治議論や哲学論、狩猟、賭け事、領地経営などの論議に夜な夜な花を咲かせる。

このような時代背景の中で主人公たちの運命が描かれる。

キティは、地方貴族で若い農場主であるリョービンと結ばれ、幸せな家庭を築く。夫のリョービンは、自らが目指す、農業経営や農民の待遇についての、理想主義的な改革の困難さや、自らの無神論的な信仰の傾向などに悩みを抱えている。しかし、ある時、農民たちとの交わりや、激しい労働の汗の中にこそ、喜びとやりがいのあることに、リョービンは気づき、自らの生き方を定めていく。

アンナは、自己の思いに忠実に生きる女性として描かれる。彼女は、ロシア高官の妻の立場を捨てて、青年貴族ヴロンスキーのもとに走り、不貞の汚名を背負いながら、幸せを追い求める。それは果たされるかに見えたが、結局は果たされることはない。ヴロンスキーも誠意を尽くすが世間の壁は打ち破ることはできない。

アンナは、絶望の中、復讐の思いを込めて、悲劇の結末に身を投ずる。残されたヴロンスキーは戦場に我が身をささげる決意を固め、自ら義勇軍を組織して戦いに出発する。かくして物語は閉じる。

アンナの自死をどう考えるかが物語の主題であろう。同時にまた、思うがままに生きたアンナとヴロンスキーの情熱と歓喜と苦悩に満ちた人生。キティとリョービンの平穏と幸せに満ちた人生。二つの生き方の対比もまた物語の主題であろう。様々な思いを抱かされる。著者トルストイの見解は如何に?物語に事実を語らせるのみである。