残照身辺雑記

日々の出来ごとや感じたことなどのあれこれを記録します。

正月初詣 亀岡市の出雲大神宮は出雲大社の本家?

元旦は穏やかな快晴。Walking日和に誘われて吉川八幡神社に初詣に出かけた。家から3kmでWalkingには丁度いい距離だ。駐車場がないので歩くしかない。なので家人は敬遠している。家族の分もまとめて参拝。

吉川八幡神社平安時代の冶歴年間(1065年~1069年)河内源氏の武将、源頼仲が吉川に在住していたときに創建したと伝えられ、主祭神は15代崇神天皇。旧社格は郷社。現在の社殿は安政3年(1856)の建立。妙見山の南西麓一帯の吉川、黒川集落の総氏神である。社殿は素朴な昔ながらの佇まいである。

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2日はいつものWalking。正月の公園は凧あげの絶好のフィールドだ。邪魔になるものがない。この日は丁度良い風の具合である。小さい子供も上手に高くまで上げている。

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一日おいての次の日には息子家族がやってきた。いつも、おやつの時間に合わせて、今が評判というケーキを持参してくる。今日はチーズケーキのアソートである。コーヒーと一緒に美味しくいただいた。スマホタブレットをかざしての談笑で盛り上がる。全ての話題がその画面の中にあるという訳である。

夕食はすき焼きパーティー。手間が掛からなくて、それでいてみんなが満足する、とは妻の弁。若い人たちの食欲にはいつも驚かされる。車で送るので小生のビールはノンアルコール。以前はこれが不満だったが、最近は味の区別が全くつかない。それで一緒に美味しく楽しめる。一家を送り届けてこの日が終わった。車で片道45分なので帰りはいつも遅くなる。

年明け最後のイベントは家族での初詣になった。近頃は初詣は亀岡市出雲大神宮に出かけることにしている。我が家からは車で45分。近隣では最も歴史があり由緒正しい神社と知ったからである。丹波国一宮、神階が最高位の正一位とのこと。

出雲大神宮は島根の出雲大社と間違えられやすい。こちらは京都府亀岡市にある神社である。社殿の創建は和銅2年(709年)とされ、主祭神大国主命三穂津姫命の二神。古来、神社の裏山の御蔭山を神体山として祀る信仰があったとされ、創建自体は、いわゆる神代に遡るとも考えられている。

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出雲大神宮は「元出雲」の別称でも呼ばれている。通説とは逆に、島根の出雲大社のほうが、当大神宮からの分霊によって創建されたとする社伝を伝えているので「元出雲」なのだ。ただ、社伝が根拠とする『丹波国風土記逸文は失われており不詳とのこと。 島根の出雲大社は明治時代前までは「杵築大社」と称しており、江戸時代末までは「出雲の神」と言えば亀岡の出雲大神宮を指していたとされる。両神社の関係は友好的で2009年の出雲大神宮の社殿創建1300年を機にして交流が一層深まっているという。

両神社の主祭神である大国主命は、誰もが知っている『古事記』・『日本書紀』に語られる有名な国譲りと社殿創建の神話の主人公である。国譲りはヤマト王権が確立する決定的なイベントであったと考えられる。出雲と大和の二大勢力の間でその抗争・折衝が行われたとき、両国の中間にあって、双方に国境を接する丹波国は何らかの特別な役割を果たしたのだろうか。社殿の創建が国譲りの交換条件であった。両神社の縁起にまつわる伝承は社殿創建に関わるその記憶を今に伝えているのかもしれない。

ということで出雲大神宮に到着。ここでトラブル発生。神社の駐車場への入り口の門柱に車を接触させてしまったのだ。行けると思ったのが運の尽き。10日ぶりの運転で勘が

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鈍っていたか?年齢のせいか?後の祭りである。塗料が転写しただけで傷にはならずに済んだのが不幸中の幸いか。折角の新年が台無しになった。 

ところが参拝を終えて帰り際に曳いた「おみくじ」が「大吉」!と出た。何とか験直しができた。元気を取り戻して帰った。 

波乱の年の予感である。 今日のできごとを教訓に!何事も無理は禁物!

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