残照身辺雑記

日々の出来ごとや感じたことなどのあれこれを記録します。

最初の記憶のこと  「敗北を抱きしめて」ジョン・ダワー を読んだ

(2018.02.04.にUpした記事を修正)

 

白い粉塵の中で黒い機械が轟音を響かせている。息苦しさと騒音の中でその場所の過酷さを感じていた。最初の記憶は何だろうと考えるとこの光景が浮かぶ。母に連れられて姉を学徒動員先の紡績工場へ慰問した時のことという。甥っ子からの年賀状に母は元気で店をやっていますとあった。母とは私の姉のことだ。それでこのことを思い出した。

学徒勤労動員は、12才以上の生徒・学生を対象に、昭和19年に始まって、昭和20年5月には、授業は無期限停止、学徒は総動員となり、中等学校以上の教育は事実上停止の状態に至ったとある。姉はこのさなかの高等女学校生であった。

昭和20年8月の終戦時は、私は就学前の6歳3ヵ月で、そのころの記憶はあいまいだ。警戒警報のラジオを固唾をのんで聞いたこと。駿河湾相模湾というB29の進入路のこと。真夜中の小学校のグランドから見た遠い町の空襲の赤い空。そして慰問に行った紡績工場の粉塵のこと。これらは終戦前のことになる。学校に出かける前に母が包丁で鉛筆を削ってくれた。鉛筆の芯は母が削らないと直ぐに折れた。粗末なわら半紙を糸で綴って作ったノートを母が持たせてくれた。雪の日の通学のわらの長靴。その長靴は1日ですっかり水浸しになった。これらは昭和21年4月の入学後のことになる。その境目にある敗戦の記憶はない。

姉を慰問した工場は今も健在だ。10大紡と謳われた企業のその工場は、その時々に適応して、新しい歩みを進めているのだろう。技術や事業は時代とともに変化し、生まれ変わって生きていく。このことは誰もが理解している。しかしふと思う・・。では日本は?全てが破壊された敗戦からどうやって?日本の生まれ変わりとはどんなものなのだろう。何故今のかたちのなのか?こちらの方面のことはとんと疎い。

1945年の敗戦から7年を経て、1952年に日本は主権を回復して、新しい日本へと生まれ変わった。生まれ変わりはその7年間になされたことになる。その間6才から13才だった私はそのことは知らない。でもそれに関わる全てに取り囲まれて育っている。破壊と混乱そして占領のこと、大人達の会話、報道、出版物、実際の見聞など、子供なりの理解や感性で、あるものは正しく、あるものは中途半端に、あるものは誤って、心に刻まれているだろう。

人は刷り込まれたものに支配されて生きる。それから自由であることは難しい。PC(ポリティカルコレクトネス)との葛藤などはその表れであろう。自分の国日本を、理解し、共感し、そして愛することにおいても、人は無意識のうちに、それぞれの理解や共感あるいは違和感や拒否感をもつ。それは何処からくるのだろう?真の理解には色のつかない真っ白で自由な自分が必要なのかもしれない。

年賀状から始まった「最初の記憶」の話が進まない。Blogの更新も滞ってしまった。そんな折に一冊の本に出会った。日本の生まれ変わりについての歴史ドキュメンタリーである。戦後の7年間を追体験させ、刷り込みをリセットし、そして”なぜ今の日本なのか?”の原点を教えてくれているように思う。

「敗北を抱きしめて」(上)(下)ジョン・ダワー(2001岩波書店)を読んだ。この有名な本の著者が1才年上の1938年生まれであることを知ったからである。同じ年代の人であれば似たような感覚で語ってくれるだろうと期待した。

著書は素晴らしかった。1945年8月の終戦から1952年の講和条約の発効まで、敗戦後の日本の7年間、連合国軍総司令部(=マッカーサー連合国軍最高司令官)による占領統治の時代の日本を描いている。1,000頁の大著に対して失礼と思うが、以下は私の関心事についての感想である。

先ず結論から; 敗戦後の”日本の生まれ変わり”と”なぜ今の日本なのか?”について、本著においてダワーが述べていることから以下を理解した。

(1)敗戦後の日本の再生について戦勝国は明確な意思、いわば設計図を持っていた。(2)それは軍国主義を排除し、平和国家、民主国家として再生させることであった。(3)これらの実現が占領終了の条件であり、日本と連合国との契約でもあった。 (4)連合国軍総司令部の使命は占領統治を通じ日本の再生を実現することであった。(5)但し、日本の再生は日本国の自発的な意思としてなされねばならなかった。 (6)それに必要な、ある意味矛盾した権限が、連合国軍最高司令官に与えられた。(7)占領統治は軍政(直接統治)ではなく、既存の体制による(間接統治)とされた。(8)それは効率・迅速の為であったが、旧来の政治・官僚体制の維持につながった。(9)天皇の問題は、戦勝国間で意見の隔たりがあり、処置方針は未確定であった。

これらのことが日本再生のための枠組みとなって、占領統治が行われ、その結果として以下の生まれ変わりが達成された。                                          (1)天皇問題の処置、即ち、戦争責任の問題と国体維持の問題:政治権力にとり権威による裏付けの必要性を了解し、且つ元来、天皇は政治の権力からは切り離された存在であったと解し、authorityからsymbolへの変換によって体制が維持された。同時に戦争責任の問題も克服された。但し、symbolの理解は個々人に委ねられた。                                          (2)  非軍国・平和国家、民主国家としての日本の再生の確認:戦争責任の断罪、財閥解体、農地改革、公職追放、教育改革などを占領統治と極東裁判で実行し、その精神を日本政府自らが、日本国憲法前文及び本文として具現化した。即ち、生まれ変わった日本は、日本国憲法そのものであるといえる。                  (3)日本国憲法は1947年5月3日に施行され、1952年4月28日サンフランシスコ平和条約の発効により、日本の占領が終了した。

日本は基本的な部分においては変わっていない。敗戦で全てがゼロになったのではなかった。むしろ、全ては続いている。このことを理解しその理由を納得した。

 

以下興味のあること各論; 米国では勝利の数年前から、戦争終結後の日本の占領統治のあり方を研究していたという。対して日本は?と考えさせられた。それはさておくとして、その研究では、天皇制の問題や戦争終結後の日本は平和国家・民主国家として再生されねばならないとする目標の設定、それを達成するための占領統治のあり方を探るものであったという。そして、それらは実行され、達成されることになった。

日本は”ポツダム宣言(=日本への降伏要求の最終宣言)”を受諾し、”降伏文書(英文=Instrument of Surrender)”に調印して敗戦が確定した。これらは日本の無条件降伏を定めるが、同時に、日本の降伏後の処理として達成されるべきことが表明されている。

「宣言」及び「文書」には、占領の解消、更には独立への道筋が示されている。そこでは、軍国主義を排除し、民主主義的風潮を強化し、平和的傾向を帯びた責任ある政府を、日本人民の自由な意思で樹立されることとされ、それらが達成されたとき、連合国占領軍は直ちに撤退するとされた。即ち”日本の生まれ変わり”についての処方箋が示されている(”ポツダム宣言”と”降伏文書”の処方箋の部分を抜粋して末尾に付記した)。 

以下興味のあること続き;

連合国軍最高司令官の使命は「ポツダム宣言」及び「降伏文書」に示された戦後処理を迅速に行うことであった。そこでは、占領統治の実行については、旧来の日本国公務員と陸海軍の職員は引き続き非戦闘任務に服させること、天皇及び日本政府の国家統治の権限は連合国軍最高司令官の制限の下に置かれるとされた。

即ち、占領統治の指揮・命令は連合国軍最高司令官が行い、実行は日本政府の組織、即ち、戦前の官僚組織が引継き行う体制となった。降伏文書に言う、天皇の適当な処置については、最終的には憲法上”象徴”とすること、即ち、天皇制民主主義の体制となった。天皇制についての様々の議論・問題、戦争犯罪論、両国・各国の世論、天皇と司令長官の関係等々が、極めてリアルかつ率直に記述されている。重要なところなので、詳しくは、原著書に委ねるのが適当と思う。様々な議論もなされています。

占領統治は迅速に進められた。完膚なきまでの敗北による、物質的・精神的喪失は、日本国民の新生日本への転換とその受容を強く後押しした。著者はこのことを、本書の表題”Embracing Defeat "と表現したのだろう。早くも1947年5月3日には日本国憲法が施行となり、戦後処理の基本的な部分が達成された。もちろん日本国憲法は、連合国軍最高司令部の監督のもとではあるが、日本政府が策定し、公布・施行されたものであった。しかし、占領下にある限り、その効力は連合国軍最高司令官の権力に従属していた。日本国憲法が完全に効力を有するようになったのは、1952年4月28日サンフランシスコ平和条約の発効により、日本に対する占領が終了した時になる。

こうして非武装平和国家・自由国家・民主国家を理念とする今の日本が生まれた。その理念は日本国憲法の中に具現された。それは、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼を寄せ、人類の平和と幸福を願い、民主主義の理想をうたっている。しかしその理想は現実との間で揺れ動き、脅かされている。

憲法施行から3年後の1950年6月朝鮮戦争が勃発し、その理念の根幹を早くも揺るがした。又、目覚ましい経済的な成功は、敗戦を抱きしめながら理想を願ったときの記憶を薄れさせた。世界の状況はいつも苛烈だ。時として戦争放棄・世界平和の理想を脅かす。そして今憲法論議が盛んである。思いを巡らし、考えを深めなければならない。日本の生まれ変わりを知ることはその助けになるだろう。☆☆☆参考の書としてお勧めです。

 

ポツダム宣言(全13項から3項を抜粋)
第6項 日本の人々をだまし、間違った方向に導き、世界征服に誘った影響勢力や権威・権力は、排除されなければならない。無責任な軍国主義が世界からなくなるまでは、平和、安全、正義の新秩序は実現不可能である。
第11項 日本政府は、日本の人々の間に民主主義的風潮を強化しあるいは復活するにあたって、障害となるものは排除する。言論、宗教、思想の自由及び基本的人権の尊重が確立されなければならない。
第13項 連合国占領軍は、その目的達成後そして日本人民の自由なる意志に従って、平和的傾向を帯び、かつ責任ある政府が樹立される限りにおいて、直ちに日本より撤退するものとする。


降伏文書(全7項から3項を抜粋)
• 公務員と陸海軍の職員は日本降伏のために連合国軍最高司令官が実施・発する命令・布告・その他指示に従う 非戦闘任務には引き続き服する
ポツダム宣言の履行及びそのために必要な命令を発しまた措置を取る
天皇及び日本国政府の国家統治の権限は本降伏条項を実施する為適当と認める処置を執る連合国軍最高司令官の制限の下に置かれる。