残照身辺雑記

日々の出来ごとや感じたことなどのあれこれを記録します。

研究開発が成功するためには?・・産業革新投資機構が経産省と衝突!の報道で思ったこと

新聞の報道; “産業革新投資機構JICの社長が怒りの記者会見”-“民間出身の役員9名が辞任の意向”-“再出発から僅か3か月で空中分解!”―等々のニュースが派手に躍っている。JICが申請した役員の報酬体系を所管する経産省が承認しなかったことに対して、JICの役員側が当初の話しと違う、と反発して社外役員が退任するに至ったとのこと。同じ船に乗っていたはずの官民が衝突という前代未聞の事態に何事かと驚かされる。昨年末の新聞記事(2018.12.13.)。

f:id:afterglow0315:20190123222823p:plain

続報記事では(201800012.26.)、経産省は、第三者による諮問会合を設けて、JICの運営の体制や報酬体系の見直しなどを2019.1月末までに行い、新経営陣を人選して再スタートさせる予定であるとのことである。

産業革新投資機構JICとは;2009年7月に設立された官民ファンド産業革新機構が、2018年9月に改組され、再出発した組織である。政府(内閣府)が提唱する未来社会「Society5.0 」に向けた技術開発に資金を供給し、新事業を創出することを主たる目的としており、投資能力は2兆円で、うち約1兆円が投資済みという。

ちなみに5.0とは「Society5.0」とは、生命科学、AI、IoT、ロボット、Big Dataなどの新技術を産業や社会生活に取り入れた新たな社会のことで、狩猟社会、農耕社会、工業社会、情報社会 に続く第5の経済社会であるとして名付けられたもの。すでに出資された案件のリストが公表されている(参照Wikipedia:産業革新投資機構)。

関係者の言い分;blog「銀行員のための教科書」に関係者のリリースやコメントが紹介されています。https://www.financepensionrealestate.work/entry/2018/12/13/095030

経産省のリリース文では、JICが申請した報酬体系を承認しなかったこと、その理由として、報酬水準について協議中であったがJIC社長の田中正明氏が一方的に打ち切ったこと、協議未了の高額のままの報酬体系をJICが申請したこと、運営ガイドラインでは密接な意見交換が求められておりこれに反していることを述べている。一方、辞任した各取締役のコメントでは、ファンドに対する思い入れ(何故社外取締役を受けたか)とファンドへの失望(経産省の関与への反発)が語られている。
年明けの文芸春秋2月号に、辞任した社外役員の一人にインタビューした記事が掲載された。日本にはFacebookGoogleのような成功したベンチャー企業がない。育てるベンチャーキャピタルがないからだ。2兆円の巨大ファンドであるJICの役員報酬としては高額ではない。経産省は高額報酬批判の世論に屈して背信した。JICはゾンビ企業の延命にはくみしない。役所の財布にされたくない等の見解が披露されている。

感想と疑問や違和感など;事件はJIC役員の高額報酬体系の問題が発端であるが、加えて、官民ファンドの運営の在り方、機構が行う開発投資への疑念(効果があるのか、ゾンビ企業の救済になっているのではないか)など様々な議論がされている。この間の発言や論評などに接して、疑問や違和感を持った。

気になる議論など;(1)優秀な目利きをJICに雇い入れれば、その活躍によって、素晴らしい新事業が創出されるだろう。そのような目利きは1億円Playerである。故に報酬は高くなる。⇒果たしてそんな千里眼はあり得るだろうか?

(2)日本にGoogleのような成功企業がないのはベンチャーキャピタルがないせいだ。優れたベンチャーキャピタルがあれば成功企業が現れる。⇒果たして本当だろうか?”Google誕生”という書物がある。早々に読んでみることにしよう。

(3)新事業を創出し事業として成功することの厳しさ・困難さがどのように認識されているのだろうか。資本投入と新事業創出の関係はどのようなものなのだろうか。グローバルな規模での成功が目標であるという。容易なことではなかろう。

(4)役員報酬は、役員の果たす役割・貢献がいかなるものかを明らかにして、その妥当性が論じられねばならない。役割がローリスク・報酬がハイリターンでは理解は得られないことになる。諮問会合の議論はどのようなものになるのだろうか。

事件についての感想はこれまでにして、新事業の創出について考える。

新事業の創出とベンチャーキャピタルJICはベンチャーキャピタルとして新事業の創出を目指しているとのこと。資本や資金のことには門外漢の小生にはベンチャーキャピタルとは?ということになる。未上場企業に投資して上場益を期待するのがベンチャーキャピタルの収益確保の基本パターンであるという。上場の確率は低いので、一発長打狙いの投資行動になるという。投資先の選定、リスクヘッジ、そして当該企業を上場に導くのが腕の見せ所らしい。

価値を創出するのは誰?;しかし根本には、その企業に、上場を可能とするような価値を付加することが課題となる。その価値とは、この場合、新事業の創出であり、その新事業が投資に見合うReturnをもたらすものでなければならない。

投資を行う者は、最善を尽くして投資の意思決定を行い、ある事業主体に資金が投入される。しかし、資金が投入されたその瞬間に、投資の成否は、資金投入を受けた事業主体の側に移行する。新事業を創出するのは、投資を受けた側であり、投資をした側ではないからだ。投資の効果は、投資を受けた事業主体の能力に帰することになる。

ここで能力とは、新事業を創出する能力、即ち、研究開発の能力と言い換えることができよう。新事業創出は結局のところ研究開発の能力によるという当たり前の話になる。研究開発の能力を鍛えないといけない。そもそも研究開発の能力とは何だろうか?

むかしの話;「研究開発はPayすると思っているの?自分はそうとは信じられないのだが・・」との問いかけを受けたことがある。

「掛かった開発の費用は、開発の結果生まれた技術なり製品なりが事業化されて、新たに生み出された利益で少なくとも相殺されねばならない。当たり外れはあるから研究開発の取捨選択が問題だし、会社全体の費用対効果の考え方の問題でもある。自分がやっている開発は当然Payすると思ってやってるよ。」がそのときの答えである。ずいぶん昔のことであるが、いまだに記憶に生々しい。

若し、再び同じ質問をされたらどうだろう。成功へのあまりにも細い道を考えれば答えはNoなのか?はたまた、誰かがやらねば何事も起こらない。だからYesなのか?進むべきか退くべきか?研究開発の現場はその葛藤の中にある。成功への細い道を通り抜けるには幸運の女神に選ばれねばならない。どうしたら選ばれるのか?その研究開発には女神が降り立つだろうか?

研究開発の効率や成功の確率;研究開発の効率や成功の確率が論じられる。ネット上にも様々な記事が見られる。しかし、研究開発に効率や確率の議論はそぐわない。女神は気まぐれで降り立つかどうかは予測不能だ。研究開発の成否はランダムで、しかも現れる数字は1か0、即ち、成功か失敗である。半分成功したということはない。ということで個々の研究開発について効率や確率を計算できない。

研究開発は先が見えない;研究開発の一番の特性は先が見えないことかもしれない。行き着く先が分からない以上、続けるか止めるかの二択しかない。成功の可能性を探る手立てもない。成否の判定は最終の結果によるしかない。

成否判定の基準は単純で、ΣC(研究開発に投じた資金の総額)とΣB(開発が事業化されてそれが生み出した利益の総額)の比較になる。( ΣC-ΣB)>0であれば開発は失敗。( ΣC-ΣB)<0 であれば開発は成功である。開発が事業化に至ることは稀で、多くはΣCだけを残すことで終わる。厳しい現実である。しかし先が見えない中でもなんとか前進しないといけない。

研究開発を前進させるもの;分からないこと見えないことに挑むのが研究開発。よって、次々に困難に直面する。その都度、それを突き破って進まなければならない。前進のためのエネルギーが必要である。そのエネルギ-が見えない先を照らしてくれる。ブレークスルーやヒラメキと呼ばれるものがエネルギーである。それが研究開発を前進させる。ブレークスルーはどうやって生まれるのだろうか。私が思うその瞬間は;

ブレークスルーが生まれるとき;「問題意識」と「情報」が触れあった瞬間に「スパーク」が光り輝く。その飛び散る火花の中に「ヒラメキ」が問題解決の答えとなって現れる。「問題意識」は極限までに高まっていないといけないし、あらゆる「情報」を強い好奇心と柔軟で素直な心で受け止めてなければならない。

そして「スパーク」の瞬間が訪れるために、もう一つ必要なものが「時間」である。「問題意識」や「情報」は当の本人の意識と努力で高まるであろう。問題は「時間」である。そのような機会が訪れるには時間が必要である。どれだけの時間が要るのか誰にも分らない。そのときは突然やってくる。それは明日かもしれないし、数年後かもしれない。それに備える時間が必要なのだ。

時間は希望であり危機でもある;困難に遭遇して開発が停滞するとき、いつ開発の打ち切りが決まるかわからない。プロジェクトの危機である。同時に、困難を克服して、新たな飛躍が起こる機会でもある。プロジェクトには停滞を打ち破るブレークスルーが必要であり、それを待つための「時間」が必要なのだ。プロジェクトは時間の必要を説得しないといけない。その必要性を説得できるだろうか。熱心な説得だけでは不足だろう。

必要なのは研究テーマへの愛情;説得には理屈を越えたものが要る。説得を応援してくれるのはテーマへの愛情であると思う。皆で生み出した幼子への愛情である。メンバー全員の心からの愛情が必要だ。それは人々に伝わるだろう。関係者すべてが慈しみと愛情をもって成長を見守ってくれなければならない。愛情が時間を生んでくれるだろう。

愛情とは、テーマが持つ潜在性への期待である。様々な試練が克服され、その潜在性が100%引き出されたとき、その研究開発の成果を、社会はどのように受け入れるだろうか。成果とニーズのマッチングが研究開発の成否を決める最後の関門である。社会は止まることなく流れていく。その流れの中で、成果とニーズの奇跡のマッチングが起って新事業が創出されることを希望しよう。