残照身辺雑記

日々の出来ごとや感じたことなどのあれこれを記録します。

二十四節気 霜降

朝から冷たい雨が降っている。傘をさしてのWalkingになった。雨のせいで中止にすることはない。毎日のこの時間に他の選択肢はない。習慣がしみ込んでいる。

今日は二十四節気霜降。気温が5度以下でないと霜が降りることはないとテレビが報じていた。霜が降らないこの時期が霜降とはどんなことなのだろう・・・などと取り留めのないことを考えながら歩く。本降りの雨が続いてズボンのすそと靴がすっかり濡れてしまった。

季節のことや節気のことは記事にすることも多い。でも、節気と季節のズレは?などよく分かっていないことも多い。二十四節気の分かりやすい記事があった<chugokugo-script.net/koyomi/nijuushi-sekki.html#top>のでこれをもとに以下をお勉強;

節気は、農作業の目安のための暦として、3,000年以上前の古代中国の殷代の頃に考案され、以降、改良が重ねられて、戦国時代(BC.400~BC.300頃)に1年を24等分した暦である二十四節気が完成したという。

節気は1年の等分に日の長さを基準にしている。最初に二至二分、即ち、1年で昼が一番長い日の夏至、一番短い日の冬至、昼と夜の長さが同じ日の春分秋分が定められ、これをもとに1年が春・夏・秋・冬の4つに等分された四節気が生まれた。さらに、四立の日、即ち、立春立夏立秋立冬を定めることで、1年を「立春春分立夏夏至立秋秋分立冬冬至―」に8等分する八節気となった。

八節気では一節気が約46日であり、幅がありすぎて、目安としては不十分なので、更に一節気を3分割して、1つの節気が約15日の二十四節気が完成した。新たな十六の節気にはそれぞれの季節を表す名前が付けられた。その名前はその節気誕生の地中国黄河中流域中原の約2,300年前の気候を反映していることになる。

霜降二十四節気の第18。今年は10月24日であり、また、霜降は10月24日から立冬の前日11月7日までの15日間のことでもある。古代中原の中心地、現在の河南省省都鄭州市の気温データによれば、10/24から11/7の時期の平均最低気温は11~8℃で、時には5℃を下回ることもあるとある。霜降は十分にあり得るということになる。

二十四節気の季節感は、古代中国の黄河中流域中原の大陸性気候を映すものなので、日本の温暖な気候とは全く異なっている。また、節気の幅自体も15日もある。ということで、節気と季節のズレはあって当然と納得!

キバナノツキヌケホトトギスが開花した  秋が深まって街路樹の色づきが美しい

街路樹が色づき始めた。ケヤキとエノキとアメリハナミズキの混栽がそれぞれの色に染まっている。真っ先に赤くなったハナミズキだいだい色に紅葉を始めたケヤキ。エノキは緑を保っている。黄緑のグラデイションが美しい。

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我が家のキバナノツキヌケホトトギスが今年は例年になく美しく開花した。葉を突き抜けて伸びた花柄に黄色い花が並んで付いている。花柄が葉を数珠つなぎにした、名前の通りの不思議な姿をしている。妻が実家の父から託されて持ち帰った鉢を大切に育てている。絶滅危惧種らしいが、我が家では差し芽と播種で鉢が増えている。

キバナノツキヌケホトトギス(黄花の突抜杜鵑草、学名:Tricyrtis perfoliata)は、渓流の崖から垂れ下がるように生えるユリ科の多年生の草本で、世界で尾鈴山にのみ自生する固有種で、個体数が減少して絶滅が危惧されるとある(by Wiki)。

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尾鈴山は、歌人若山牧水の故郷の山である。『ふるさとの 尾鈴の山の かなしさよ 秋もかすみのたなびきて居り』。牧水の生家は、尾鈴山を間近に望む宮崎県日向市東郷町大字坪谷に、現在もほぼそのままに残されている。妻にとっても私にとっても所縁の地でもある。

旅の歌人牧水が残した代表歌6首;「幾山河 こえさりゆかば さびしさの はてなむ国ぞ けふも旅ゆく」「うす紅に 葉はいちはやく 萌えいでて 咲かむとすなり 山桜花」「白鳥は哀しからずや 空の青 海のあをにも 染まずただよふ」「白玉の 歯にしみとほる 秋の夜の 酒はしづかに 飲むべかりけり」「ふるさとの 尾鈴の山の かなしさよ 秋もかすみのたなびきて居り」「なつかしき 城山の鐘 鳴り出でぬ 幼かりし日 ききしごとくに」。城山の鐘は今も延岡の町に時を告げています。

大野山(754m)に登った。 山頂はタカ(サシバ・ハチクマ)の渡りの観察スポット!?

登山のつもりで大野山へ出かけたが、登山口の駐車場が見つからず、山頂までのドライブになってしまった。大野山の山頂は、猪名川町が経営する「大野アルプスランド」という自然公園になっていて、天文台、キャンプ場、野外ステージ、アジサイ園、スポーツ広場などが整備され、車で行けるのだ。

広い駐車場に車を停めてさっそく頂上を目指す。標高差30m、距離200m、所要時間5分の登山?になった。頂上は広場になっていて、中央に三角点の標柱、四方に展望案内板とベンチがある。すぐ下に天文台が見えている。360度の眺望が素晴らしい。

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山頂の広場では野鳥観察のグループの人たちが、大口径の望遠レンズを付けたカメラを構えている。タカの渡りを撮影するのだという。バードウオッチャーには秋の大切なイベントという。この日は10月の始め。渡りの季節は終わりに近く、あまり期待はできないとのこと。

タカの仲間の「サシバ」と「ハチクマ」は、春、本州北部に渡ってきて、子育てをしてから、9月から10月にかけて、日本列島を縦断して、越冬地のインドネシア・フィリピンに向けて渡りをするという。その数は少なくとも数万羽とされる。

渡りには決まったコースがあって、白樺峠や伊良湖岬が有名な通過点で、盛期には日に数千羽が観察されるという。近年は9/24がピークになることが多いとのこと。

近畿地方の渡りのコースは、はっきりしないが、白樺峠から琵琶湖、淡路島、鳴門山を経由して四国・九州に向かうものと、伊良湖岬から紀伊半島を越えて、四国・九州に向かうものがあるとされている。大野山は渡りのルートに当たるのだろうか。壮観というタカの渡りをいつかは見てみたいものだ。

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大野山は手抜き登山になったが、何はともあれ北摂山系4峰目の登頂となった。妙見山周辺の4峰と合わせると、2年で計8峰に登ったことになる。残りの高岳、剣尾山に登頂すれば、目標にしていた”近隣10山登頂”が達成になる。残った2峰は中々手強そうだ。

日帰り登山を始めて2年。始めたころは、体力も気力も大丈夫だったのが、80歳を迎えて、衰えを感じるようになった。この歳では、運動やトレーニングを続けても、体力維持は無理。残念ながら衰える方が勝っている。持久力はそこそことしても、バランスや瞬発力が問題。安全第一。ゆっくり登ることにしよう。

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下山の前にアルプスランドの遊歩道を歩いた。天文台の周りを回るようになっていて、アップダウンが殆どない快適な散歩道だ。

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歩道沿いにクリの木が多い。

栗の実が歩道に沢山落ちているので、栗拾いをしながらの散歩になった。

歩くうちに、ポケット一杯になった。持ち帰って、茹で栗にして、美味しく頂戴した。

 

 

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吉野彰さんノーベル化学賞受賞!(2) 決定のシーン "Announcement of the Nobel Prize in Chemistry 2019"

吉野さんの受賞が決まって報道ラッシュ。同時期に同じような立場で、企業での研究開発に携わっていた者として、共感すること多く、また、我がことのように嬉しい。幾星霜の末の栄光。受賞決定の印象的なシーンです。

2019.9.6.(水)18:45 旭化成(株)が用意した記者発表会場。発表会場はこれまでも10数年にわたって毎年準備されてきたが、そのたびに空振りを繰り返してきたという。今年も多数の本社勤務の社員たちが期待を込めて詰めかけている。

会場にはストックホルムノーベル化学賞の発表セレモニーが同時配信されているのだろう。その進行を全員が固唾をのんで見守っている。

そして、"グッドイナフ"の名前が呼ばれた瞬間、会場にはどよめきが起こり、同時に確信めいた空気が流れた。同氏はかねて共同受賞者と目されており、集まった人々はそれをよく知っているのだ。そして3人目。遂に"ヨシノ アキラ"。まさしく待ち臨んだ瞬間である。全員の喜びが爆発した。このあとは怒涛の報道。

YouTubeストックホルムでのノーベル化学賞の発表セレモニーの様子がアップされている。"Announcement of the Nobel Prize in Chemistry 2019" 

www.youtube.com

43分間の長編であるがとても興味深い。選考委員長が吉野さんへ受賞の決定を知らせる電話の第一報のシーンや直後に行われる記者達による吉野さんへの質問など。

英語である上に、電話の音声がはっきりしないらしく、吉野さんが(勿論映像はない)戸惑いながら、受け答えされている。それにしても受賞が決まった直後のストックホルムからの質問攻め。nativeな人たちには何でもないことだろうが、予期せぬままでの日本人にとっては試練だろう。こんな一齣があることを知った。

発表セレモニーが終わってから、選考委員の一人が、記者のぶら下がりインタビューに答えながら、この発明の高度性、重要性や将来性などを、笑顔いっぱいで、この受賞を心から喜ぶ様子で説明していたシーンがとても印象的であった。数多の候補の中から選んだことについての確信と自信を発信してくれている。