残照身辺雑記

日々の出来ごとや感じたことなどのあれこれを記録します。

最初の記憶のこと  「敗北を抱きしめて」ジョン・ダワー を読んだ

白い粉塵が立ちこめる中で黒い機械が凄まじい音を立てている。息苦しさと騒音の中でその場所の過酷さを子供ながらに感じていた。最初の記憶は何だろうと考えるとこの光景が浮かぶ。母に連れられて姉を学徒動員先の紡績工場へ慰問した時のことという。甥っ子からの年賀状に母は元気で店をやっていますとあった。母とは私の姉のことだ。それでこのことを思い出した。

学徒勤労動員は、12才以上の生徒・学生を対象に、昭和19年に始まって、昭和20年5月には、授業は無期限停止、学徒は総動員となり、中等学校以上の教育は事実上停止の状態に至った。昭和20年3月時点で動員率は中等学校(中学校・高等女学校・実業学校)で82%であったという。姉はこのさなかの高等女学校生であった。

そのころの記憶ははっきりしない。昭和20年8月の終戦時、私は就学前の6歳3ヵ月である。警戒警報のラジオを固唾をのんで聞いたこと。駿河湾相模湾というB29の進入路のこと。真夜中の小学校のグランドから見た遠い町の空襲の赤い空。そして慰問に行った紡績工場の粉塵のこと。これらは終戦前のことになる。学校に出かける前に母が包丁で鉛筆を削ってくれた。鉛筆の芯は母が削らないと直ぐに折れたのだ。粗末なわら半紙を糸で綴って作ったノートを母が持たせてくれた。雪の日の通学のわらの長靴。その長靴は1日ですっかり水浸しになったが、足の冷たさは覚えていない。次の日までに乾くか心配した。これらは昭和21年4月の入学後のことになる。その境目の敗戦の記憶はない。

姉を慰問した工場は今も健在だ。70年余になる。ずいぶん昔のことだ。10大紡と謳われた企業のその工場は、時代に適応して、その時々に新しい歩みを進めているのだろう。技術や製品は、時代とともに変化し、生まれ変わって、生きていく。そのようなことは経験してきたので理解できる。しかしふと思う・・・。では日本は?今も健在だ。全てが破壊された敗戦からどうやって?そして何故今の日本に?日本の生まれ変わりとはどんなものなのだろう。こちらの方面のことはとんと疎い。折角なので少し勉強してみよう。

1945年の敗戦から7年を経て1952年に主権を回復して日本は、日本は新しい日本へと生まれ変わった。生まれ変わりはその7年間になされたことになる。その間6才から13才だった私はそのことは知らない。でもそれに関わる全てのことに取り囲まれて育っている。破壊と混乱そして占領のこと、大人達の会話、報道、出版物、実際の見聞など、子供なりの理解や感性で、あるものは正しく、あるものは中途半端に、あるものは誤って、心に刻まれているだろう。

人は刷り込まれたものに支配されて生きる。それから自由であることは難しい。PC(ポリティカルコレクトネス)との葛藤などはその表れであろう。自分の国日本を、理解し、共感し、そして愛することにおいてもそれは同じだろう。人はそれぞれの理解や共感あるいは違和感や拒否感をもつ。何処からくるのだろう?真の理解には色のつかない真っ白で自由な自分が必要なのだろうか。・・・・何だか難しいことになってきてしまった。科学や技術では、正しい結果を得るにはContaminationを排除するのは当たり前のことなのだが・・・。

年賀状から始まった「最初の記憶」の話だが深みにはまりそうだ。1月のBlogの更新も滞ってしまった。そんな折に一冊の本に出会った。それは日本の生まれ変わりについての歴史ドキュメンタリーであった。戦後の7年間を追体験させ、刷り込みをリセットし、そして”なぜ今の日本なのか?”という問いに答えてくれた。

「敗北を抱きしめて」(上)(下)ジョン・ダワー(2001岩波書店)を読んだ。この有名な本の著者が1才年上の1938年生まれであることを知ったからである。同じ年代の人であれば似たような感覚で教えてくれるかもしれない。

著書は素晴らしかった。1945年8月の終戦から1952年の講和条約の発効まで、敗戦後の日本の7年間、連合国軍総司令部(=マッカーサー連合国軍最高司令官)による占領統治の時代の日本を描いている。1,000頁の大著に対して失礼と思うが、以下は私の関心事についての独断的・短絡的・超理解による答えです。

先ず結論から; 敗戦後の”日本の生まれ変わり”とはどんなことなのか?そして”なぜ今の日本なのか?”ということについて(1)敗戦後の日本の生まれ変わりについての意思、いわば設計図があったことを理解させられた。(2)それは、軍国主義を排除し、平和国家、民主国家として日本を再生させることでり、アメリカの日本との戦争の目的ともなった。(3)日本の再生が占領終了の条件であり、いわば日本と連合国との契約であった。連合国軍総司令部の使命は占領統治を通じてそれを実現することであった。(5)但し、日本の再生は日本国の自発的な意思としてなされねばならず、そのために必要な権限が、事実上、連合国軍最高司令官に与えられた。(6)占領統治は、軍政(直接統治)ではなく、効率性と円滑性から、日本の既存の体制、即ち、政府、議会、司法をそのまま活用するもの(間接統治)とされた。それは旧来の官僚体制の維持するものだった。(7)天皇制の問題も、周到な研究の結果、統治の権威としての必要性を理解し、且つ元来、政治の権力からは切り離された存在であったと解し、authorityからsymbolへの変換によって維持された。(8)以上により、日本の生まれ変わりは実現した。それは日本国憲法の前文及び本文として具現化された。日本は、日本国憲法そのものであるといえる。(9)日本国憲法は1947年5月3日に施行され、1952年4月28日サンフランシスコ平和条約の発効により、日本の占領が終了した。

日本は基本的な部分においては変わっていない。敗戦で全てがゼロになったのではなかった。むしろ、全ては続いていることと理解し納得できた。(軍国主義の排除、戦争責任の断罪、財閥解体、農地改革、公職追放、教育改革などは私の問題意識とは別のことなので触れない。)


以下興味のあること各論; 米国では勝利の数年前から、戦争終結後の日本の占領統治のあり方を研究していたという。対して日本は?と考えさせられた。それはさておくとして、その研究では、天皇制の問題や戦争終結後の日本は平和国家・民主国家として再生されねばならないとする目標の設定、それを達成するための占領統治のあり方を探るものであったという。そして、それらは実行され、達成されることになった。

日本は”ポツダム宣言(=日本への降伏要求の最終宣言)”を受諾し、”降伏文書(英文=Instrument of Surrender)”に調印して敗戦が確定した。これらは日本の無条件降伏を定めるが、同時に、日本の降伏後の処理として達成されるべきことが表明されている。

「宣言」及び「文書」で、軍国主義を排除し、民主主義的風潮を強化し、平和的傾向を帯びた責任ある政府を、日本人民の自由な意思で樹立されることとされ、それらが達成されたとき、連合国占領軍は直ちに撤退するとされた。占領の解消、更には独立への道筋が示されている。即ち”日本の生まれ変わり”についての処方箋が示されている。(”ポツダム宣言”と”降伏文書”の処方箋の部分を抜粋して末尾に付記した)。

 

以下興味のあること続き;

連合国軍最高司令官の使命は「ポツダム宣言」及び「降伏文書」に示された戦後処理を迅速に行うことであった。そこでは、占領統治の実行については、旧来の日本国公務員と陸海軍の職員は引き続き非戦闘任務に服させること、天皇及び日本政府の国家統治の権限は連合国軍最高司令官の制限の下に置かれるとされた。

即ち、占領統治の指揮・命令は連合国軍最高司令官が行い、実行は日本政府の組織、即ち、戦前の官僚組織が引継き行う体制となった。降伏文書に言う、天皇の適当な処置については、最終的には憲法上”象徴”とすること、即ち、天皇制民主主義の体制となった。天皇制についての様々の議論・問題、戦争犯罪論、両国・各国の世論、天皇と司令長官の関係等々が、極めてリアルかつ率直に記述されている。重要なところなので、詳しくは、原著書に委ねるのが適当と思う。様々な議論もなされています。

占領統治は迅速に進められた。完膚なきまでの敗北による、物質的・精神的喪失は、日本国民の新生日本への転換とその受容を強く後押しした。著者はこのことを、本書の表題”Embracing Defeat "と表現したのだろう。早くも1947年5月3日には日本国憲法が施行となり、戦後処理の基本的な部分が達成された。もちろん日本国憲法は、連合国軍最高司令部の監督のもとではあるが、日本政府が策定し、公布・施行されたものであった。しかし、占領下にある限り、その効力は連合国軍最高司令官の権力に従属していた。日本国憲法が完全に効力を有するようになったのは、1952年4月28日サンフランシスコ平和条約の発効により、日本に対する占領が終了した時になる。

こうして非武装平和国家・自由国家・民主国家を理念とする今の日本が生まれた。その理念は日本国憲法の中に具現された。それは、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼を寄せ、人類の平和と幸福を願い、民主主義の理想をうたっている。しかしその理想は現実との間で揺れ動き、脅かされている。

憲法施行から3年後の1950年6月朝鮮戦争が勃発し、その理念の根幹を早くも揺るがした。又、目覚ましい経済的な成功は、敗戦を抱きしめながら理想を願ったときの記憶を薄れさせた。世界の状況はいつも苛烈なままだ。そして今憲法論議が盛んである。思いを巡らし、考えを深めなければならない。日本の生まれ変わりを知ることはその助けになるだろう。☆☆☆参考の書としてお勧めです。

参考;ポツダム宣言(全13項から3項を抜粋)
第6項 日本の人々をだまし、間違った方向に導き、世界征服に誘った影響勢力や権威・権力は、排除されなければならない。無責任な軍国主義が世界からなくなるまでは、平和、安全、正義の新秩序は実現不可能である。
第11項 日本政府は、日本の人々の間に民主主義的風潮を強化しあるいは復活するにあたって、障害となるものは排除する。言論、宗教、思想の自由及び基本的人権の尊重が確立されなければならない。
第13項 連合国占領軍は、その目的達成後そして日本人民の自由なる意志に従って、平和的傾向を帯び、かつ責任ある政府が樹立される限りにおいて、直ちに日本より撤退するものとする。


降伏文書(全7項から3項を抜粋)
• 公務員と陸海軍の職員は日本降伏のために連合国軍最高司令官が実施・発する命令・布告・その他指示に従う 非戦闘任務には引き続き服する
ポツダム宣言の履行及びそのために必要な命令を発しまた措置を取る
天皇及び日本国政府の国家統治の権限は本降伏条項を実施する為適当と認める処置を執る連合国軍最高司令官の制限の下に置かれる。

 

ブログの更新が滞ってスーパーボウルが間近になった バイキングスのQBキーナム選手

ブログの更新が進まないままに2月になってしまった。年賀状をきっかけに書き始めた記事が難行してしまった。いろいろ考えるうちに時間が経つ。でも折角なので最後まで行き着きたいものだ。

NFLスーパーボウルが間近かだ。年明けからのプレーオフのこの時期、夜半過ぎにたまたま目が覚めたときにはベッドの中からTV観戦することがよくある。全米は広い。時差の関係で開催地によって、試合は日本時間で夜中過ぎから早朝になる。試合は15分×4クオーターで60分なのだが、これは実プレー時間で実際は2時間ぐらいになる。以前はフルタイムを見ることがあったが、最近は第4クオーターに入ってから目が覚めるぐらいが丁度いい。終了5分前ぐらいからが見どころ満載で最高の攻防が繰り広げられる。歴史に残るとアナウンサーが叫ぶようなドラマチックな幕切れがしばしば起こる。先日も印象に残るシーンがあった。但し、プレーのことではない。

試合はNFCディビジョナルプレーオフニューオーリンズセインツ対ミネソタバイキングス。主役はバイキングスのQBキーナム選手。残り時間3分台に入ってから試合は逆転に次ぐ逆転とスリリングな展開となった。セインツが再度逆転して残り時間25秒。攻撃権を得たバイキングスだが、ゴールラインまで61ヤードを残して最後の攻撃機会になってしまった。残り時間は10秒。絶体絶命の中でQBキーナム選手がタッチダウンパスを決めてバイキングスの劇的な大逆転勝利となった。

そして興奮覚めない中での勝利インタビューでキーナム選手が感想を求められて語った言葉;”今まで一番うれしかったことはクリスチャンになったときのこと、二番目は妻と結婚したときのこと、そして三番目が今日の勝利である”。衝撃であったと同時にうらやましい気持ちがした。信仰に対する心からの信頼を感じたからだ。彼には心の幸せがあるだろう。果たして私たちには?

 

 

ライムポトス  水植えしてから4か月がたった

水植えのポトスが黄色っぽくなって1枚ずつ葉が落ちた。年末年始に寒い日が続いたせいかと慌てて窓際から離した。そして何も知らずにいることに気が付いた;

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品種は「ライムポトス」。ライム色の鮮やかな葉が特徴の品種。熱帯のジャングルが原産地なので、暑さに強いが、寒さには弱い。そして日陰を好むとのこと。そのため、元気に育つには15℃以上が必要で、直射日光は避けてカーテン越しの光が最適。8℃以下の気温になると元気が無くなる等々・・・。丈夫で手入れも簡単と勝手に思っていたが大切にしてやらないといけない。写真で見比べると昨年9月に水植えした時からほとんど成長していない。大きく育って茎を垂らす姿を見たいものだ。

年の瀬 干支の引き継ぎ

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すっかり年の暮れになった。玄関の干支の置物も交代の準備ができている。ここ10年は同じシリーズのもので中々渋い感じの鋳物だ。妻が気に入っていて毎年買い求めている。もうすぐ十二支一巡になる。

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丁酉(ひのととり)から戊戌(つちのえいぬ)へのバトンタッチになる。どんな年がやってくるのだろう?

干支によれば「戊戌」 は;

「戊」は十干の5番目で"大いなる繁栄"、「戌」は十二支の11番目で"滅亡"を意味し、両者は「比和」の関係にあって、その威力を最大限に強めるが、繁栄/滅亡どちらに転ぶかは不安定な境界線上にある年という。大いなる繁栄の年であって欲しいものだ。

妙見山 660.1m 周辺4山登頂完成 山歩きの記録(4)

先日最後に残っていた妙見山に登った。これで青貝山、高代寺山、天台山と合わせて周辺4山の登頂達成となった。頂上の妙見宮へは初詣で毎年登っているがいつも車なので自分の足で登ったのは初めてだ。ところが大失敗。麓近くまで降りたところで頂上の三角点を見届けるのを忘れていたことに気が付いた。そんなこともあるまた登ればいいと情けない気持ちをなだめながら下山した。

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街から仰ぐ妙見山。山頂の星嶺会館が見えている。

ということで再度妙見山を目指した。妙見山には大堂越・上杉尾根・初谷川・天台山コースの4つの登山ルートがあり、どれも能勢電鉄終点の妙見口駅近くの国道477号が登山口になっている。1回目の時は大堂越えコースを登って上杉尾根コースを下山。今回は初谷川コースを登って同じく上杉尾根を降りた。天台山コースは天台山までは2回も登っているので今回はパスにする。

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行程概要と所要時間;

大堂越えコース(登り) 妙見口駅ー(20分)ー黒川駅ー(50分)-大堂越ー(50分)-頂上

上杉尾根コース(下り) 頂上ー(40分)-展望所ー(45分)-国道-(15分)-妙見口駅

初谷川コース(登り)  妙見口駅ー(15分)-奥橋ー(100分)-出合ー(40分)-頂上

どのコースも登山道や標識はよく整備されており、大堂越えの炭焼き跡と台場クヌギや上杉尾根からの眺望、初谷川の渡渉など特徴あるコースが選べます。特に初谷川の美しい渓谷は素晴らしく”大阪みどりの百選”にも指定されています。

山頂は妙見宮の境内になっていて、お堂や山門、鐘楼、社務所、鳥居などが立ち並び、茶店や休憩所、郵便局も軒を連ねてかつての賑わいを感じさせます。現在は日蓮宗の寺院ですが、奈良時代行基の開闢とされ、また古代から信仰の対象の山であったと考えられています。三角点は境内の奥まったところにある。

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大堂越え:黒川ケーブル駅・けやき台木・大堂越え峠
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上杉尾根:大阪湾遠望・妙見山頂 星嶺会館・里山眺望 黒川集落
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初谷川渓谷:せせらぎ・堰堤・渓谷渡渉
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妙見山頂:茶屋と山頂郵便局・妙見宮社務所・三角点

 

柚子が届いてジャムになった

目が覚めると階下からいい香りがしている。柚子のジャムがちょうど出来上がったところだった。この季節になると柚子が届く。妻はいつもそれを待ち構えていてジャムを作る。家人がいると仕事がはかどらないと言って寒い時期なのに早朝から起き出してごそごそやっている。タイミングよく朝のトーストに出来立てのあつあつのジャムをのせて頂だいした。美味しい!

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生家に育つこの柚子には妻の思い入れがある。いまは住む人がいない生家だが、季節になると弟に頼んで送ってもらっている。

田舎の自然の中で育ったものだからと、鍋に3杯も作って、友人に配っている。

「片足立ち屈伸」を筋トレ種目に追加した 

山歩きを始めて3か月になった。近くの山を歩く限りは体力・脚力に問題は感じない。柔軟体操・筋トレ・ウオーキングの効果か?山といっても今のところ最高標高は650mなので次のレベルになるとどうなるかは分からない。

山を歩いてみて片足にかかる負荷が大きいことを知った。登るにしろ降るにしろ一歩ごとに全体重を片方の足で支えることになる。足を踏み外したときなどは、とっさに支える俊敏さと力強さが絶対に必要だ。支えきれなければ事故・怪我になる。そこに自分の体力・脚力の限界と不安を感じる。低山歩きといえどもそのような場面はいつもある。一歩一歩に細心の注意を払って行動することを心掛ける。しかし最後のよりどころは身体能力になる。これを高めなければならない。

一番直接的であろうと、片足立ち屈伸を始めた。最初はバランスをとるのが難しかったがすぐに慣れた。片足20回づつ両足で40回を筋トレ種目に加えた。特に変わった感じはないが続ければ少しは効果はあるだろうし万が一の時には助けになってくれるだろう。