残照身辺雑記

日々の出来ごとや感じたことなどのあれこれを記録します。

ゴルフ始末記

定年退職後に縁があってゴルフを始めた。現役の頃も年に数回はやっていたので全くの初心者ということではなかった。同級生仲間や会社の元同僚など有り難いプレー仲間ができて、月1ゴルフから始まって盛期は週1ゴルフまでになった。回数は増えたが腕の方は才能なしで中々むつかしい。90を切ったのが数える程といったところ。

そんなゴルフであったが今年の春に引退を決めて仲間に伝えた。きっかけは2月の「憩室炎」。100オーバーが続いて思うようなプレーができなくなっていたこともあった。仲間にはすっかり迷惑をかけてしまい、心配もさせてしまった。14年も世話になった。でもいずれその時は来る。自分としては潮時である。

手帳にスコアを記録していたのでまとめてみた。2003.1から2017.3までの14年間、総Round数 449 (30R/Y)、総平均打数99.88。60歳台はスコア短縮に意欲、73歳以降はスコア維持に苦労。なんとか総平均100以下でFinishできた!色んなことが思い出された。ひとこまひとこまに胸が熱くなる。

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ブログをはじめた訳(2) ブログ映え生活?

ブログを始めて2か月半になった。自分のために始めたことで、誰かに何かを伝えたいということではない。誰かの目に留まればそれはそれで嬉しいが、気恥ずかしい気持ちもある。多少なりとも受け入れられればいいのだが知る由もない・・。ということでブログを始めたことは今のところ誰にも言っていない。

ブログを始めた気持ちなどを考えてみる。今日は体育の日で休日。ジンクスどおり秋晴れだ(ジンクスは縁起の悪い方に使う?反対語がないので良い方にも使う?!)。昼には気温が上がって熱中症に注意という。窓から入る風は少し湿っぽいが涼しい。朝食、自室の掃除、柔軟体操と朝の日課を終えた。週の前半なので仕事に出かけるところだが今日は休日でウオーキングになる。少し時間があるのでのんびりとPCの前に座っている。そしてこの記事を書き始めた。

記事のテーマは漠然としていて形はない。あれやこれや考えながら前後し左右し少しづつ進む。ブログを始める前は記事のネタがあるかと心配した。"ブログ映え"する生活がいるかと思ったりした。だが大変なのは”ネタ探し”ではなくて"物を書く"ことの方だ。どんなネタでも無限の物語を秘めているように思う。それを書き切れば記事になる。始めてみて思ったことは物を書く人に対する敬意だ。何気なく読み飛ばしてきたことの中に込められた書き手の切なる思いがある。ウオーキングの時間になった。

休日の公園は賑やかだ。季節も良い。小さい子供を連れた若い家族が多い。何組も野球やサッカーのボール遊びをしている。それでも公園は十分に広い。公園を囲む住宅地は新しいのでまだまだ埋まっていないのだ。公園の隣にはショッピングセンターの用地が用意されていて、その空き地で愛好家たちがドローンやヘリを飛ばしている。そして行きかえりにはジョギングの人たちにすれ違う。休日ならではである。予報通り気温が上がってすっかり汗をかいて帰った。

日々の漠然とした物足りなさから「ブログを始めよう!」となったのだが、記事を書くことは大いに慰めになることがわかった。書き上げれば達成感が得られる。納得いくものになれば幸福感が得られる。過程は必ずしも楽しいわけではない。苦しさみたいなものもある。強制されたものでもない。時間に定めがあるわけでもない。新しい着想が湧くこともある。そのうちに着地点が見えてくる。納得できる記事になるといいのだが・・・。

 

 

 

 

青貝山 391.2m リベンジ登頂  山歩きの記録(1)

山歩きを始めることにした。この年でどれくらい歩けるものか見当がつかないが、先ずは、自宅から見えている山に登ってみることにした。高代寺山、妙見山天台山、青貝山などの北摂山系の山々が見えている。高さも400mから660mで丁度良さそうである。脚力・体力に目途がつけば相応の遠征も計画できるだろう。

先日手始めに青貝山に出かけた。ところが用意したハイキングマップでは細かいところは役に立たず、途中で踏み跡が消えてしまっているなど、2回も引き返して登り返したが結局登頂はならず、3時間の予定が5時間もかかった挙句に撤退と散々な結果になった。準備不足である。収穫は5時間も山中を歩いて大丈夫だったこと。

今回は国土地理院の2万5千分の1の地図をDL。情報も皆さんの登山ブログなどを仕入れてリベンジ登山に挑戦。無事完登できた。前回の失敗は標識の見落とし。今回はゆっくり確認しながら歩いた。前回の苦労はウソのように難なく登頂できた。教訓は「甘く見るな!準備は万全に!標識を見落とすな!」。以下行程記録;

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国道477号沿いのコンビニ711で昼食と飲料を調達。10:50出発。国道を向かい側に渡って東ときわ台住宅地の山沿いの外縁道路の上り坂を進む。秋晴れの爽やかな陽気だ。初めて長袖にしたが少し汗ばむ感じだ。

11:05吉川峠(地図のA)に到着。大きな配水タンクがある。木々の間から住宅地が見渡せる。峠らしい感じではないが、道路はここで三叉路になっていて、周辺の登山の起点になる重要ポイントだ。前回はここで間違えてしまった。

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 標識(⇒青貝山・下止々呂美)に従って中央の薄暗い簡易舗装の下り道へ入るのが正解。あとは標識ポイントを間違わないように進めば大丈夫。吉川峠から約1時間で青貝山の頂上に着く。

11:05吉川峠(A)を出発。11:10天台山31(B)の標識。ここから左手の山道に入る。11:20天台山32(C)の標識。左手からの山道と合流。道なりに進む。

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11:23青貝山1(D)の標識で右手に分岐する細い道を谷川方向に下る。11:28金属製の小さい橋(E)を渡ると谷沿いの緩やかな登りになる。

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11:32青貝山2(F)の標識を左へ進む。登りになる。11:45青貝山4(G)送電鉄塔の下をくぐって進むとなだらかになってくる。青貝山6(H)を過ぎるとすぐ頂上(I)。12:00到着。

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 山頂は平らで直径が50mくらいのなべ底状をしている。中心にコンクリートの三角点の標柱があって周りをコナラの疎林が囲んでいる。葉が茂っているので眺望は効かないが落葉すれば見晴らしは良さそうだ。木漏れ日の中で昼食。

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12:30昼食を終えて帰路に着く。登ってきた道が頂上で直進方向と左方向の二又に分かれていて三叉路になっている。交差点の丁度真ん中に三角点がある(I)。左方向は天台山に向かう尾根道になっている。今日は直進方向に下り道をすすむ(J)。道はすぐに急な下りになって道沿いに張ってあるロープに掴まりながら降りる(K)。12:45箕面森町北地区の造成地(L)に降り立つ。住宅街を通り抜けて箕面森町バスセンターに13:00到着。

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吉川峠から青貝山山頂までが1時間ー昼食に30分ー山頂からバスセンターまでが30分。計2時間の行程である。我が家からのアプローチも入れると3時間位になる。手軽な割には変化に富んだ楽しめるコースだった。標識に注意して進むこと。距離は意外に短いのでうっかりすると通り過ぎる。最後の下りはロープでしっかり確保すれば大丈夫です。

交通機関能勢電鉄妙見口駅からコンビニまで1km/15分。バスセンターからコンビニまで2.3km/30分。バスセンターから千里中央へバスがあります(30分)。

 

ポトスを水植えにした

先日ポトスの小さい鉢を買って帰った。オリヅルランの跡継ぎにするためだ。ビニールの鉢から苗を取り出して、土を洗い落とし根っこをハサミで全部切り取って、茎と葉だけにした。2つに分けると丁度良い大きさになった。ガラス容器に水道水と2-3粒の化成肥料を入れ、そのまま水植えにした。

今朝で1週間になった。モヤシくらいの太さの白い根が勢いよく伸びだしている。元気に育ってくれるだろう。

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1939年(昭和14年)生まれ(続編)

前回は1939年(昭和14年)生まれの未来を考えた。今回はその裏返しの我々世代の終焉を考えてみよう。人はなぜ死ぬのか、人はいつまで元気なのか。

厚労省生命表に年齢ごとの死因別死亡確率が示されている。75-100歳男性の死因は、心疾患15-16%(75歳-100歳)、脳血管疾患8-7%、肺炎10-18%、悪性新生物25-7%、老衰7-27%、その他の疾患8-8%、事故・自死等3-3%となっている。

年齢が進むにつれて、肺炎と老衰による死亡が大きく増加する一方、悪性新生物による死亡が急減する。他の死因についてはあまり変わらない。

肺炎は免疫機能の低下、老衰は細胞や組織の機能の低下が関係しており、これらは老化によって進行する、一方、それ以外の疾患は、生活習慣からくる環境因子及び体質とされる遺伝的因子の組み合わせに原因するという。

結局、人の死は老化と生活習慣と遺伝の3要素によって支配されることになる。老化という避けることのできない流れの上に生活習慣と遺伝という個人的な要素が加わって個々人の死が定まる。我々はこれを自然なこととして受け入れなければならない。 

それでは人はいつまで元気でいられるのか。近年盛んに健康寿命という言葉を聞く。いつまで元気かという設問に答えてくれるのだろうか?

健康寿命について以下の解説がなされている。男性の場合、平均寿命は80.21歳であるが、健康寿命は71.19歳であり、その差は9.02年である。女性の場合差は12.40年である。健康寿命とは健康に過ごせる年数のことなので、この差の年数は、健康な期間が終わって死を迎えるまで過ごす不健康な期間に当たる。9年も10年も不健康な期間を過ごすことは大変だ。従って健康寿命を延ばすことが大切だ。云々・・。

俄かには信じられない数字である。これまでも見た通り、例えば78歳男性の平均余命は10.11年である。健康寿命が上記の71.19歳であるならば、これは既に尽きているので10年の余命は不健康に過ごすということになる。そんなことがあるのだろうか?

健康寿命はアンケート結果と生命表を組み合わせて健康な期間を試算するという。それが可能であればとても興味深いことである。試算の根拠や理論を知りたいと思ったが、調べた限りでは、明快なものは見当たらず自分にはあいまいなままであり、残念ながらその仕組みを私の能力では理解するには至らなかった。よってこれ以上健康寿命を論ずることはGive-Up!とする。

折角なので指標をいくつか挙げておく;

要介護認定率(厚労省);70~74歳6.3%、75~79歳13.7%、80~84歳26.9%、85~89歳45.9%、90~68.0%

延命治療の意識調査(内閣府);望むものH.14年9.2%、H.19年7.4%、H.24年4.7%。望まないものH.14年81.1%、H.19年87.7%、H.24年91.1%

意識調査(厚労省);健康と思う(男)60-69歳84.2%、70-79歳77.0%、80歳以上65.0%

                            

 

 

栗田浜の釣り

 暑さも少し和らいだので栗田浜に出かけた。20年来のキス釣りのホームグランドである。北近畿はあちこち出かけたが釣果は何処も変わり映えしない。栗田駅前の駐車場がいつも空いていて浜にも近くて便利なのでここに落ちついた。大釣りはないが、寸長28㎝超の大物キスが釣れたこともあり、そこそこ楽しめていた。何より安全で砂浜もきれいで気持ちがいい。

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そんな栗田浜であるがここ数年はあまりいい思いをしたことがない。数年前に浜の中央部の沖合に波けしブロックの防波堤が築かれた。500m位の規模のものだが影響しているのだろう。あるいは京都縦貫道が完成して便利になったせいか。型は小さくてあたりは渋い。以前はあたりがあればほぼ針掛りしていたのに空振りになる。釣り場が荒れたとはよく聞くがこれがその症状なのだろうか。それでも出かけるのは栗田浜になる。

今日も案の定釣れるのはチャリコと小さいカワハギだけでキスの気配はない。海はすっかり秋の季節に入っている。そもそもここでのキスの盛期は梅雨入りのころから盛夏までで、それ以外の時期はまず期待できない。それでも出かけてくるのは万が一の期待と海辺の爽快な気分に惹かれてのことだ。釣れないことは慣れてしまっているので気にならない。日差しは強いが海風はからっとした秋の気配だ。丸い形の栗田湾は穏やかで静かに光っている。遠くの湾口に島影が小さくかすんで見える。いつもの光景だ。ふと、娘がこの海岸で泳いだことを思い出した。あれはいつ頃のことだったか。

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今日の可愛いい釣果⇧ かつては釣れた28㎝の大物キスやアオハタ・キジハタ⇩

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1939年(昭和14年)生まれ

昭和14年の出生者数は極端に少ない。生まれた者の数は1,901,573人で、その前後に比べると10~15%も少ない (昭和13年もかなり少ない)。日中戦争が始まったからという。欧州では第2次世界大戦も始まっている。戦争の申し子というべきか。ところが、小学校の入学は昭和21年であり、戦後教育の第1年生になった。平和の子でもある。

今年で78歳になる。昨年10月時点での生存者数は1,167,000人(男性520,000+女性647,000)である。約40%の者がいなくなっていることになる。昭和14年生まれには誰もが知っているような有名人は見当たらない。地味で存在感は薄い。己卯年らしいと云うべきか。我々もいずれ退場となる。この先の未来はどんなものだろうか?

厚労省が毎年公表する簡易生命表というものがある。1年間の死亡者数を年齢別に集計しただけの単純なものだが、これをもとにすると、人の死についての様々な指標が推計できるという。ある年齢の者が平均してあと何年生きることが期待できるかの年数が平均余命として生命表から計算され表示されている。

平成28年簡易生命表によると、昭和14年生まれの77歳男性の平均余命は10.80年、女性は14.17年である。即ち、平均的な男性の場合77+10.80=約88歳まで、女性は約91歳まで生きることが期待できることになる。

さて11年後に88歳になった者はどうなるか?もちろんそれで終わりということではない。同じ生命表を適用すれば(実際には変化する)88歳男性の平均余命は5.00年とあるので、この男性は93歳までの生存が期待されることになる。更に、93歳での平均余命は3.37年なので寿命は96.4歳。これを繰り返していくと100歳の時点でも平均余命は1.89年ある。誰もが100歳超の超長寿者になる可能性がある??どんなことなのか?もう少し具体的に見てみよう。

簡易生命表の年齢別の死亡率から集団の年ごとの死亡者数が計算できる。28年の簡易生命表を使って昭和14年生まれ77歳男性の集団についてエクセル表計算を行うと;

平成28年には520,000人であった生存者の数は、10.8年後の88歳の時点では生存者は約253,400人、それまでに死亡した者の数は266,600 人であった。88歳の平均寿命に達するまでに半数以上の者が死亡するということである。現実は厳しい!さらに、92歳での生存者は約130,000人、96歳での生存者は約50,000人と計算される。

もう少し身近な数字は死亡率かもしれない。77歳男性の年間の死亡率は3.32%。3%では死は中々現実的には感じられないのかもしれない?87歳では10.9%、92歳では18.5%、96歳で26.8%になる。

以上が昭和14年生まれの未来図のスケッチである。余命宣告でもある。残された月日は長いのか短いのか。いずれにしても限りあるもの。残照は明るく照り映えてみえる。しかし時は刻々と刻むを止めない。私には死は未だ遠い遠いものにしか感じられないのだが・・。